古文と漢文について

  • そうそう。ここに書いておこう。英語を真面目に勉強するようになり、また日本語を学んでいるノンネイティヴの話者と交流するようになり、自分の日本語の理解がいかに古文と漢文の知識に由来しているかに思い至った。古文と漢文を学ぶことの意義は、まさに日本語の運用能力を伸ばす為にあると思う。いや、その他にも多分ありますよ。教養だとか何だとか。ただ、「教養」というのが一体何なのかわたしには分かりません。「言語の運用能力」と言った方が、「教養」と言って説明を済ませたことにするより、いいんじゃないですかね。まさに、英語が出来なくて教室で人非人扱いされる状況を思えば、「言語の理解」なるものは痛いほど分かります。日本人は、古文と漢文を多少なりとも知っているからこそ、日本語が上手いんだと思いますよ。まあ分かりませんが、もう少し日本語の学習者が増えて、日本語ノンネイティヴの人の日本語をもう少し聞く機会が増えたら、「あれ? もしかして彼らの日本語がいまいちなのって、古典を知らないからかな?」って思い至るんじゃないかな。わたしはそのように思い至りました。ま、日本人の中にも、古文と漢文を全く素通りしてきたような人間がいると思いますが、そういう人間の日本語が、わたしがウェブ上で見て吐き気を催している芥屑みたいな日本語なんじゃないでしょうか。まあ、言語は変わっていくものですし、別に古典語をやらなきゃ日本語なるものが話せないわけじゃないけど、古典語の知識が一度もインストールされていない脳では、まあちょっと人間扱いされないコミュニティーがあっても仕方ないよね。大学とかね。