《ジュリア・アナス(著)、瀬口昌久(訳)『1冊でわかる 古代哲学 ジュリア・アナス』isbn:4000268759》

  • この本の構成の妙や、語り口のうまさ、著者の狙い、各章の内容の(ものすごい)要約などは後書きに書いてあるので、そういうのは書かない。
  • じゃあ何を書くんですか。ってそりゃあれですよ。読んで一番面白いと思った部分。
  • あんまり本文を参照しないで書くけど、第六章にこういうことが書いてあって、とても面白かった。

 理解、というのは説明を与えることが出来るということで、それは何かとかどういうものかとかどうしてとかと聞かれて、合理的に答えることが出来るということだ。合理的に論証するということ、とも言える。
 で、そういうわけだから、自分が何かを知っているぞと言うためには、しっかり自分にそのことを問わなくてはならない。そうして問うた上で、初めて何かを知っていると言える。
 それだからソクラテスは、――彼はそういった突っ込みの名手だからな――、自分は何も知らんぞと言う。 
 ソクラテスがそういう風にして、「知ったかぶってる」ソピストどもに皮肉かましまくったから、まあそれで彼は死刑にもなったんだが、教条的に主張する”ソクラテス以前の哲学者”とは違うということになる。それで、ソクラテスという人物が重要なのだ。彼以降、哲学というものは、そういう、合理的な論証というものが軸になった。
 つうわけで、自分が何かを信じていて、それを他人に知らしめたいと思ったら、その他人と、対等の議論をするしかない。そこで求められているのは、当然合理的な説明なわけで、それは、やはり「言い負かし」とは違う。

  • で、まあそうすると「合理的」っつうのはどういうことなのか、ということが問題になるんだが、それは、やっぱ、「納得できる根拠がある」ということで、かつ「反問可能」ということじゃなかろうか。聞かれればちゃんと納得のいく答えが出来るということか。そしてなお「質問を受け付ける」。多分そんな感じだ。
  • ジュリアアナス的にはさらに、”そして「理解」出来るのは真理のみであるので、哲学は真理の探究なんだ”とも言うが、ちょっと微妙。まあ本文でも括弧書きにしているのであんまり考えないことにしよう。
  • 総じてなかなか面白かった。まあ冒頭の心の哲学の部分と、『国家』のトピックは興味がなかったけどね。でもまあ言いたいことは分かったつもりです。
  • 次はオースティンだぜー。
  • でもちっと年金のことを解決しに区役所に行ってくる。激しくめんどい。こういうときばかりは日本が管理社会だったらと思うね。-10,59

★★12,05-