金曜日。しょうがねえ。

★★6,17-
バイパス*1

  • まずは昨日の話から入る。昨日は、ややアン・ナチュラルな仕方で飲み屋に行った。ええと、ちょっと分からないように、しかしそれっぽく書くと、まず、その飲み屋でバイトをしている人がいて、その人が今日辞めるという。それで、その人にケーキを持って行って、渡し、そのあとその人を誘って飲みに行った。その飲み屋で働いているということ以外、ほとんど接点の無かった人を誘って、飲みに行った。いや、なんというか、そういうことだ。始めはいやがって/遠慮していたその人も、熱心に誘ったことによって、話をしてくれるようになった。ああ、ここでちゃんと断っておくと、これの企画者・実践者はおれではない。サークルの、ある二人だった。それで、まずその人が働いている飲み屋に行って十二時まで粘った。詳しく書くと、十一時半頃まで飲んで、十二時まで店の前で待った。それで、店から出てきたその人を誘って、熱心に誘って、その人の家の近くであるという和民に行った。そこへ移動する途中、またその和民の中で、話をした。とても話をした。それで、しかし和民というのは三時に閉まるのである。私たち*2はその人と別れて、私たちの学校のある街まで帰ってきた。行きも帰りも歩きですよ。それで、五時半頃まで、座り込んで話をしていた。因果流伝さんとぬけげさんと、そしてローサさんは寝た。おれとゆんゆんさんは話をしていた。そうしておれは帰ってきた。それで、これが昨日あったことだった。つうか昨日から今日にかけて、行われたことだった。
  • それで、次に書いておいた方がいいだろうことを書く。まあこれはけっこうプライベート・レベルが高いんだが、このことは人に見せないとしょうがないことであって、それで、ネットで公開するというのは一気に見せられて便利な反面、誰にでも見られてしまうという難点があると。が、まあ、どうせこの日、今日の日記を見る人というのは、常連的に見てくれている人か、何日後かにこの記述を、下の方に流れて行ってしまっている中から読もうとして読む人であるので、結局、まあ、要するに見てもらいたい人には見てもらえるし、なんだか、まあ、あんまりこれを読んでもしょうがないんじゃなかろうかという人はきっと見ない。てゆかまあ、見てもらって全然いいんであって、あれです、あのー、しょうがないわけよ。人に見てもらわない以上はどうしようもないことであるので。
  • あ、で、ちょっと眺めてみたけれど、今日の記述は概して読みづらい。ので、まあ、読みたくない人は読まないでいいでしょう。きっと、読んでもしょうがないですので。で、こういう但し書きがこの位置にあるのも多少は巧妙かと自分で思ったりもするのだがどうかね。
  • なんの話かって言うと、あれです、おれの性格のことです。まず簡単に言うと、大体、おれの中には二つのモードがあると。話の便利のために名前を付けると、それは「楽モード」と「コミュニケートモード」だと。まあ大抵は、おれはコミュニケートモードです。これなんなのかって言うと、人と話す気があるモードで、相手が言っていることをなるべく理解しようとするし、自分が言いたいことを、ちゃんと相手に分かりやすい仕方で、かつなるべく不快にも思わせない仕方で言っていくことで、相手と自分との間に共通了解のようなものを築こうとする。で、これは、相手にも自分にも納得の行くように事を運ばせるとか、自分の視野が広がったり、まあ、なんていうか大切なことであろうとかと思っているわけなんだが、おれの場合にはこれは一種の倫理規則になっていましてね、おれはこれをするべきだろうと。おれはこのように振る舞うべきだろうと。まあ、そういう風に思っていることが常なわけだ。で、さて、これがこれ、実に重要なことなんだが、この人とのコミュニケーションをとろうとするってーのは、とてもとても疲れる。一言で言うと、めんどい。長いあいだ、または程度の高いレベルでこれをしようとすると、たまに、やってらんなくなる。どこどこまでも、切れずたゆまずやっていくことはめちゃくちゃに大変なわけだよ。本当につらいですよ。それで。たまに、楽モードに行く。あのね、もうそんなことはどうだっていいの。やってらんねーからやんねーんだ。言うべきと思っても黙って、にこにこしながら話を流す。なあなあで。いいじゃん。いいんだよどうだって。あー、そうっすねえ、それでいいと思うっすよ。うん。そうだよ。そうそう。実に楽だ。悩みなど何もない。適当でいいわけよ。どうだって。で、それで、とっても楽。人と話し合うこともないし、わーわー言ってりゃ適当に楽しく時間が過ぎてく。
  • もう少し詳しく言うと、相手が言ったボケに対して的確に返すということもコミュニケーションの一部だと思っている。相手が放った文言を、的確に扱うということなんだ。そんなね、定型化した振りと、受け答えばっかりしているのはコミュニケートモードじゃあねえ。とりあえずここではそういう風に区分けしておく。おれがコミュニケーションのモードにあるっていうときにはそういう風に行動するってことだ。おれが的確に言葉を発してるってのはそういうモードにあるってことだと、そういう風に言っておく。
  • それでだ、ここからが錯綜するんだがね、まず、楽モードが楽しくて、コミュニケートモードがつまらないというわけではないんだ。別にね、そりゃあキターとかなんとかかんとかと言ってりゃ適当に楽しいですけどね、人と話をして相手のことを分かって、ああ、まあ「分かった気になって」だろうが、ともかくも相手と本当に話をするということは、楽しいことなのだよ。少なくとも、ネタみたいなことばっか言ってるのよりは楽しい。圧倒的に。ただな、これは疲れるんだ。何かを消耗している。特に、相手と機知の効いた洒落を言い合って笑い合っているのはまあいいとしてだ、相手の主張に対して丁寧に理解して扱って、自分のそれへの応答をそれなりに言葉を選んで論点をずらさずに、そしてしかも自分の言いたいことをちゃんと言うというのは、億劫に感じることがある。まあ、そういう議論みたいなことをするたびに消耗するとは言わない。けれど、必ず消耗する類の論争というのはあるのであって、そういうのは、やってらんない。本当にやってらんない。まあレベルがあるということなんだがね。
  • それで、おれは、コミュニケートモードでコミュニケーションするというのは、楽しいことでもあるし、また倫理的に要請されていることであるとも思っているんだ。これは別に哲学的に基礎付けようとはしない。ここでは少なくともしない。ここでは、おれの現状の信条なり性格なりを記述するということにしているから。そしてこれは、疲れる。時にね。時に、疲れる。まあ楽しいんだが、たまには、面倒さが先に立つこともあるわけよ。やってらんねーって。まあ多分そういうのは、自分が頑張ってちゃんと言ったところでこいつはきっと分かっちゃくれねーんだから実りなんてねーよと、まあ自分が先にそう思っちゃう局面なんだろう。そう思ってしまうと、まあ大抵、やる気はしねえ。が、倫理的にこいつはちゃんと語るべきだと思ったときには、まあちゃんと言う。つれーけど。疲れるけど。で、そういうのがたまっていくと、本当にやってらんなくなる。文字通りに死にそうになる。で、そこでストップ。やめー。やめやめー。それ以上それに誠実にコミットすると身が破滅するからやめなさい、てゆうかやめていいですよ? と、自分にそれをやめることを許す。そこで初めて、おれは誠実にコミュニケーションすることをやめる。や、ね、ちゃんとすぐに言い足しておくと、自分が楽しんで洒落を言い合っている次元ではいいのよ? 自分がいかに瞬時に機転を利かせて洒落を返せるかとか、ねえ、まあそんなことは意識にも昇らないけれども、全然苦にならない。だからそこでは別に「誠実に」しようとしてしているのではない。その事態というのは、「そうあるべき事態」と「そうでありたい事態」が一致しているわけよ。だから別に誠実とかの出る幕ではない。まあ結果誠実でもあるのだけれど。命令されたことが自分のしたいことなわけだからね。
  • で、まあ、それで、これがおれの性格のようなものであると、大体分かってきた。で、これがまあ現実的には重要だと思うんだが、今は楽モードです。休養中です。楽しく洒落を言うのならばまあいいけれども、倫理的に誠実であらざるをえないがためにちゃんとしたコミュニケーションをとることは、今できません。まあちゃんと言うと、今は、とても嫌です。今はそんなことをしたくありません。まあ、これは、今そうであるという現状報告なんだが。
  • さ、これで書こうと思ったことは書き尽くしたかな。
  • ああ、ついでに書くなら、こういうことを知らせておこうと思ったのは、ちっと最近おれが楽なモードに飛散して休養していることに、まあやはり自分自身でもまずかなあと、まだ倫理の声が聞こえてくるものでね、本来ならばちゃんとコミュニケーションを採とっているべき人に向けて、まあちっと自分の所信表明みたいなものをやっておいた方がいいんじゃねーかと、まあそう思ったからなわけだ。うん。そんな感じだ。
  • おれ、今、マジで休養中ですから。
  • あ、で、今からシャワー浴びて寝ます。なるべくすぐ起きて本読みたいですなあと。-7,33

★★7,34-

  • それで、

*1:バイパス。

*2:結局、ハンドルで書くと、ゆんゆんさん、ローサさん、ぬけげさん、因果流伝さん、そしておれ。