《八房龍之助『宵闇眩燈草紙 六』isbn:4840230978》pp.193-4

生き様は曲げん 性根も変えんッ
転身 変わり身 もっての他!
儂は儂のまま我を通してみせるわッ!

情動 疳気を捨てて何の生であるかッ
人として生まれたからには 望み! 欲し! 焦燥に身を焦がし!
急流に揉まれる木ノ葉の如く 千々に乱れるワタシの心ヨ
最喜極上の人生であろうがッ

  • ようは、どうでもよいということだ。しかし、これを言っている人物がほとんど不老長寿を持っているということには注意を払う必要がある。私の命には限りがある。知識も多くない。限りがあるということは重大だ。それだから、困っているのじゃないか。それでも、まあそれでもどうでもよいのだよな、これというのは。それだから、楽しくゆこう。楽しくゆくのが、これの本分であるから。そうだ。好きにゆくのに困らないだけの、金と運と権力があれば十分だろう。あとは、それを楽しむ時間が、長くあれば長くあるほど、そしてそれがあればそれだけで、よい。孔子は、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えずと言ったらしいが、なんだ、孔子は七十までかかったのか。案外ぼんくらだな。