日曜日。日曜日だ。が

★★1,58-

★★3,34-

  • 昨日うっかりしたためにお金を下ろし忘れた。ので、お金がないので食べ物が買えない。ので、パスタを茹でることにする。-3,35

★★3,41-

  • 分裂してきた。
  • おいおいそこはフラスコじゃないよ。-3,41

★★5,56-

  • どういうことだ西園寺! -5,56

★★6,04-

  • 昔、次のような問答を読んだことがある。詳細は異なっているであろうし、また出典も定かではないが、記憶の限りに再現して下に掲げよう。中国の古典を模した説話体で、次のように語る。
    • 父と叔父の前で、その子供が川で溺れている。さて、この場合、どちらがその子を助けるべきであろうか。師がそのように問い、弟子の一人が次のように答えた。それは父が助けるべきです。なぜならば父・子・孫と、人の道はそのようにまっすぐ続いていくべきものだからです。より血の近い、父がこそ助けるべきです。それを聞いて兄弟子が口を開いた。いや、それは違う。この場合は叔父が率先して助けるべきだ。なぜなら、兄弟の子が溺れているのを見て叔父が助け、家族の絆の強いことを確かめる機会なのだ。如何に血が遠かろうとも家族の絆が目に見えて強いということを示すべきなのだ。弟子の二人がこのように答え、師が笑って答えた。二人とも間違っている。この場合はより川に近い方が助けるべきなのだ。父であることや叔父であること、血が近いということ遠いということは助けることの理由にはならない。目の前で子供が溺れているのならば、それを先に見つけた方が助けるべきであるし、同時に見つけたのなら、より近くにいる方が助けるべきなのだ。そしてさらに言うなら、二人とも力を合わせて助けるべきなのだ。師の言葉に弟子の二人は未熟さを思い知った。
  • それ故、牛乳キャップとセロハンテープが共に崖から落ちそうであるのを見つけたならば、より先に落ちそうなものを先に助けるべきなのだ。セロハンテープが見えず、牛乳キャップのみが落ちそうであるのを見つけたならばその牛乳キャップを助け、次にセロハンテープが落ちそうであるのに気が付いたならばセロハンテープを助けるべきである。逆もまた然りである。牛乳キャップであるということやセロハンテープであるということは、それを助ける順番の理由とはならない。落ちそうであることを見つけた順に、またはより落ちそうである順に、助けるべきなのだ。そしてさらに言うならば、どちらも助けるべきである。落ちそうであることに変わりないならば、どちらかだけを助けて立ち去ってしまうのは愚か者のすることである。落ちそうなものが目の前にあるならば、それらを助けるのが人として当然のことなのだ。-6,26

★★19,58-

  • 気が付いたら九時間寝ており、郵便貯金のATMがまたしても閉まっていたので街まで出掛けて遅くまで開いているところで下ろそうとしたが、日曜日だということでここもまた閉まっていた。ので三井住友で手数料を払いつつ下ろしてケンタッキー・フライド・チキンを食って漫画を買って帰って来た。-20,00

★★22,30-