「東方萃夢想「砕月〜天零萃夢」リアレンジ&歌ってみた(Re:A&Re:nG)‐ニコニコ動画(SP1)」

  • D について。
  • 以下に、この動画の下段に書かれているコメントを書き写しておく。

朧月夜が美しい夜
満月を見上げるその姿は
誰にも気づかれることは無い
しかしその不思議な力は誰にも負けることは無い
棲むべき土地も無く天の施しすらもない
その「モノ」は誰も知らぬ闇の中に息づいている
けれど古来より人の営みの淵にその「モノ」は居る
荒々しくも神聖なモノとして崇められることもある
邪悪なモノとして敵意を向けられることもある
けれども人の恐怖の感情さえも
彼女にとっては大切な人との絆に違いないのだ
夕暮れが過ぎ、夜が訪れようとしている
「今宵は宴、人もあやかしも共に飲み明かそう」
しかしそれは人が妖を祓うための方便であったのだ
宴に集ったそのモノ達は次々と人に狩られていく
最早楽しそうな笑い声も息遣いも聞こえてきはしない
毎夜一人見上げていた幻想的な月を見ることすら許されない
恐れられようとも彼女が大切にしてきた絆は絶え果ててしまった
今となってはそのモノは二度と人の前に姿を現すことはない
あれから何百年経っただろうか
絆無き今、いずれ人にも忘れ去られて行くのだろう
記憶の淵に微かに残る人との思い出は
最早遠い昔の夢の欠片であるようだ
荒々しくも神聖なモノとして崇められることもあった
邪悪なモノとして敵意を向けられることもあった
けれども己に向けられる人の恐怖の感情でさえも
彼女にとっては大切な絆であったのだ
あれから何百年経っただろうか
絆無き今、いずれ人にも忘れ去られていくのだろう
記憶の淵に微かに残る人との思い出は
いつか宴の席で見た夢だったのかもしれない


*1

  • 放置しておくとちゃんと参照することが出来なくなって、書き写すことすら出来なくなるから、ここに書いておくことにする。
  • 一応書いておかないと誤解されてしまうかも知れないので書いておくけれど、(i) おれだったらもう少し異なったようにこれを書くであろうし、また、(ii) 何人かがコメントで書いているようにはこれは「意訳」として素晴らしいのではないと解釈している――声に出して歌われている歌詞が分かりづらいから現代日本語としてこなれた上の文が比べて分かりやすく、だから素晴らしいと感じる、というのでは全くない。(iii) 寧ろ、調子を取った歌声に被せるようにして(或いは後ろで言い切るようにして)、朗読調の現代文が二重写しにされるから素晴らしいのだと感じている。(iv) だから、歌声のための歌詞としてリフレインが為される箇所(後半の)で、上の文も同じように(文末だけを変えて)リフレインしているが、これは朗読や演説、或いは物語調の言い方ではないので、おれだったら歌詞の上でのリフレインを無視して全く異なった物言いで、かつ同じような意味合いのことを書くだろう。(v) また、漢字の表記に関しても私は異なった意見を持っているが、まあそれは敢えて言うことでもない。(vi) 概して、諸手を挙げて賛成するというのではないが、非常に示唆的であった。