『スーパーロボット大戦 A Portable』 のシャアには、「赤い彗星の呼び名は/返上しなくちゃならんようだな…」という台詞があるのだが、シャアってのは、そんな砕けた物言いをするのかな、と思った。池田秀一*1はシャアというキャラクターに思い入れがあると聞いたから、「シャアはそんなこと言わない」という風に、『A Portable』 の台詞の作者に反発する可能性があったはずである。
 さてこのように考える時、果たして我々は好きなキャラクターに好きな台詞を喋らせることが出来るのか、と疑問に思う。どこかの同人サークルが池田にシャア役をオファーし、とんでもない台詞を喋らせようとする。池田はそれを断るかも知れない。それはシャアというキャラクターを或る意味で守る為である。では、富野由悠季がシャアが登場する作品を再び作ろうと考え、池田にシャア役をオファーし、シャアに「とんでもない」と池田に思われる台詞を喋らせようとする。この時、池田はそれを断ってもよい。それは、シャアというキャラクターを或る意味で守る為である。このような考えは、私に違和感を与える。なぜなら、シャアというキャラクターの真の創造主は富野であって、池田ではないのであって、池田にはシャアがどのような台詞を喋るキャラクターであるかを決定する権利は無いと思われるからである。
 では、同人サークルは池田にシャア役をオファーする時、一体何をするべきだったのだろうか。その同人サークルはまず富野の承認を取るべきだった、というのが一つの回答だろう。もし富野がその台詞を承認したならば、シャアはそのような台詞を喋るキャラクターなのだから、池田はそのサークルに従わなければならないというわけである。しかしそれは本当だろうか。池田には、幾ら富野がそう言おうとも、シャアはそのような台詞を喋るキャラクターではないと言って、同人サークルが考えた台詞をあてず、富野に逆らう権利があるのではないだろうか。そのように思われる。もしそのように言った場合、その同人サークルは代わりの声優を探して、富野の「公認」を得ていると宣伝しつつ、自分が思い描いてた台詞を喋らせるかも知れない。これは、キャラクターを自由にすることの出来る人物が居て、その他の人物にはそのキャラクターを自由にすることは出来ないという考えである。
 それにしても自由にするというのは、どういうことなのだろうか。上のような考えを正しいと言う為には、このことを明らかにしなければならないだろうし、それまでは、マレフィスにも満たないだろう。

*1:公人には敬称が付かない。