素・宮沢章夫・吉野家

  • ちょっと思いついたのでやってみる。どうなるかは知らん。
  • まずは、manthano風にやってみる。要するに素である。

 で、まあ、ちっと考えていたんだが、どうなんだろうか。ある作品*1で登場するアイデアなんだが、その人が奉じる宗教体系によって、或る特定の現象が感じられたり感じられなかったりするのだろうか。その作品の中で登場した例で言うと、仏教国である日本においては、キリスト教を奉じる人には仏教系の霊が感じられない、ということだ。もうちょっと言うと、仏教で言う霊というものは仏教という宗教体系の内部の概念によって捉えられる現象であって、その宗教体系を奉じない人にとっては、その現象(霊)が捉えられない、というわけだ。同様に、仏教者にとってはポルターガイストなんかは感じられないし(何しろ横文字だからな!)、聖遺物もさほどのことはない。
 さて、これは一体どうなのか。どうなんでしょうか。どうなのさ。これがだなあ、例えばキリスト教の儀式によって聖別された銀の弾丸とかで撃ち抜かれる、とかいう事態であれば、まあ仏教者とかイスラム教徒とかということに関わりなく、まあ死ぬと思うんだが、それは結局、宗教的現象ではなく物理的現象(弾丸に撃ち抜かれるということ)によってまあ死ぬわけでしょ。まあそういう点ではポルターガイストは微妙で、仏教者も分かるんじゃないかとも思うが。ともかく要点としては、物理世界に拘わらない、精神的な(霊的な)現象というのは、その現象を概念的に規定している宗教体系を離れて、存在しているのか、ということですよ。
 どうなのかねー。あー。うーん。それは、あれか。キリスト教徒にとっては、自縛霊というのは、キリスト教の体系のなかでその自縛霊に相当する概念として感得されるのか。どうなんでしょうか。まあもっとも、仏教体系中の概念とキリスト教中の概念が常に一対一対応するとは思われないので、実情としてはやや複合した観念(概念)として理解されるのだろうが。ま、そんな感じかな。
 するとだなあ、あらゆる宗教体系は、それぞれ別な方法によってではあるが、この世の霊的現象を全て捉え切っているということになりはしないか。所詮ポルターガイスト仏教用語で説明可能であるし、自縛霊とても、キリスト教的に説明できる…と。
 いや、まだ科学がこの世の物理現象を捉え切っていないのだからいかなる宗教体系とてもこの世の霊的現象全てを捉え切っているわけではなくて、それぞれの宗教体系がそれぞれの方法と方面からこの世の霊的現象を理解しようとしている…。するとやはり、いかなる宗教体系でもまだ説明されていない霊的現象があるのであって、またいかなる宗教体系でも説明できる霊的現象があって、そしてなんとか幾つもの宗教体系の合わせ技一本で説明が出来る霊的現象もあると、そのような感じになっているのだろうか。
 さあ、どうなんでしょ。

  • で、これをまず宮沢章夫調にやってみるとだなあ…。

 最近考えていることは、キリスト教徒にも自縛霊が見えるか、ということだ。
 自縛霊とは仏教的なことばであって、キリスト教にはなじまない。きっとキリスト教徒の男には髪の長い恨めしい女の霊は見られないのではないか。
 私はこれを
「宗教が違うと話ができない」
 と表現したい。
 宗教が違うと大変である。何しろ話ができない。キリスト教を日本に布教をしに来た宣教師がいたとしよう。彼が電車に乗るのに困ったとき、彼は話ができない。
 むしろこのとき、彼はその事態をキリスト教的に解決するのではないだろうか。
「おお主よ、私は迷える子羊です」
 そして彼を導く駅員が現れ、彼を案内するのである。
 ここにはなにかもっと深刻な問題があらわれているに違いない。
「主よ、日本には牛丼屋があります」
 このときも彼は神に助けを求めるほか無いのである。日本には牛丼屋ばかりかカレー屋、たこ焼き屋などがあるのであって、彼はそのたびに神に救ってもらわなくてはならない。
「主よ、日本にはスタ丼屋があります」
 これでは神も困るだろう。何しろ「スタ丼屋」である。ちょっと聞いただけではなにを売っているのかわからない。「丼」と言っているから食べ物であることは推測がつくかも知れないが、それ以上のことはわからない。それがなんであるかがわからなくては、神様としても苦労するのではないだろうか。それでも神はキリスト教徒を助けなくてはならない。
「主よ、日本にはアニメイトがあります」
 これはかなりまずい。神としてもアニメイトがあるのがどう困ったことなのかすぐにはわからない。きっとそのキリスト教徒はかなりのマンガ・オタクで、アニメイトを発見してしまった以上入店しないわけにはいかないのだろう。だが彼は宣教師であるのでそんなところで時間を消費しているわけにはいかない。そんな気持ちに揺れ動く彼を、神は救わなければならないのだ。神も大変だろう。
「主よ、日本にはコミック・マーケットがあります」
 もはや神にはなんのことだがわからない。意味不明である。いまだに日本人の中にもこれがわからない人がいるというのに神にわかるわけがない。それにしてもお前はなんで困ってるんだ。
 しかし彼は神にすがるしかない。宗教が違うので日本人とは話ができないのだから。

  • 若干使ってるネタが宮沢的ではないが仕方がない。思いつかないのだから。
  • まだ宮沢調が抜けきっていないが、次に吉野家風にやってみる。多分短くなるだろう。

そんな事より閲覧者よ、ちょいと聞いてくれよ。日記とあんま関係ないけどさ。
このあいだ、宗教体系に対する霊的現象の実在論を考えてみたんです。宗教体系に対する霊的現象の実在論
そしたらなんか概念がごちゃごちゃといっぱいでうまく考えられないんです。
で、ちょっと書き出してみたら案外なんとかなってきて、ちょっと企画でも、とか思ったんです。
もうね、どうかと。駄目かと。我ながら。
な、おれな、文体模写の企画程度で舞い上がってんじゃねーよ、馬鹿が。
文体模写だよ文体模写
なんか吉野家テンプレにも手を出してるし。テンプレいじって文体模写か。おめでてーよな。
よーしおれ吉野家やっちゃうぞー、とか思ってんの。もう恥ずかしくて。
な、おれな、今から前言撤回していいから辞めとけと。
ブログってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
PCのモニターの向こう側に座った奴にいつ荒らされてもおかしくない、
煽るか煽られるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。平和的なネタは引っ込めとけ。
で、やっと内省的に考えられたかと思ったら、それも吉野家のテンプレの中でなんです。
そこでまた自己嫌悪ですよ。
あのな、吉野家のテンプレいじりなんてきょうび流行んねーんだよ。バカが。
得意げな顔して何が、吉野家で、だ。
おれは本当に吉野家のテンプレをいじりたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。この自分を。
おれはもしや吉野家って言いたいだけなのではなかろうかと。
ブログの閲覧者に言わせるとしたならば今、ブログ通の間での最新流行はやっぱり、
アニメ批評、これだろ。
ガンダムSeedディスティニー叩き。これが通の巡回の仕方。
ガンダムSeedディスティニーってのはガンダムSeedの続編。おれは全く知らねー。これ。
で、それの脚本批判。これ最強。
しかしこれをやりだすと次からアニメブログとして認知されるという危険も伴う、諸刃の剣。
最近のアニメを全く見ていないおれとしては勇気を持てない。
まあ結局おれとしては、日々の日常でも綴ってればいいってこったよな。

  • やや方向性が違ってきた。てゆうかもはや内容が別物になっている。
  • ま、こんなもんしておこうか。
  • 本読んでよ。-9,19

★★11,06-

  • 宮沢章夫『青空の方法』isbn:4022643285》が終了。早く読み終わるねえ。
  • いいよねえ、宮沢章夫。でも、小説に関しては*2、ちょっと及び腰なんだよね。ちょっとね、小説というのには消極的なのであって。
  • いかんよなあ、そんなんじゃあ。
  • 次は何読もうかなん。
  • 哲学の本を読んでないことに気がついた。-11,15

★★20,49-

★★21,20-

  • じゃ、カテゴライズしておこうかな。タイトルはなんにしましょうか。「文体模写」とか謳うの恥ずかしいんですが。
  • 「なりきってみる」あたりでどうか。-21,21

*1:『自縛霊Daydream』(スペリングには自信がない)

*2:サーチエンジン・システムクラッシュ』

*3:私が持っている版は「世界魔法大全」シリーズのものであり、isbnは在りません。

*4:私が持っている版は「世界魔法大全」シリーズのものであり、isbnは在りません。

*5:私が持っている版は「世界魔法大全」シリーズのものであり、isbnは在りません。