明治三十年代にはいって、藤村操という十八歳の少年が、日光の華厳の滝の上から投身して、厭世自殺を遂げた。飛び込む場所の木の幹をけずって、百四十字ばかりの「巌頭の感」をしるしつけた。人生ついに不可解、というわけである。ちょうど僕が小学校三年のときのことで、文学などとは縁の遠い僕の家庭でも、まだ未婚だった僕の叔母が、ふるえる声でへんな節をつけて、「巌頭の感」をよみあげて感傷にひたっていたことを、僕はおぼえている。哲学という学問を、少年を死にいたらせる不吉な学問として、はじめて知ったわけだが、僕にはただ恐ろしいだけで、それがどんなものかを理解するよしもなかった。
 しかし、「巌頭の感」は、大衆的な感動をよび、その話はながいあいだ人の話題になり、藤村少年のあとにつづいて、哲学に凝った若者が自殺を企てたり、発狂したりという、あっちこっちのニュースが新聞に載った。しかし、常識人の代表のような僕の義父は、それをよむたびに、こんな風潮に憤りをおぼえるらしく、いまいましそうに舌打ちしたものであった。

  • 金子光晴は、明治になって新しい学問(精神文化)が流入してきた、ということを述べた後で上のように続ける。
  • まあこういう文章を見ると、どうもこういうところから現在までの「哲学」のイメージが出来てるんだろうなーということを思うわけだが、明治期だったら、まあ、分かる話だ、というのが正直なところで。おれにはよく分からないが、ともかくインパクトがあったのだろうなあというところかなあ。若者を死に至らしめる学問は不吉なものだけれど、しかし、今現在、哲学をやったことが原因で自殺する人ってのはいるのかいな。いない気がするんだよなあ、いるとしてもそれはその人がそもそもから持っていた気質のせいであって。哲学の内容はとても朗らかで……と思ったけど倫理学はそうでもないか。でも、生き方が変わるぐらいであって、死なない範囲のもの何ではないかと思ったりするけれども。少なくとも、「人生ついに不可解」だからといって自殺する原因にはならないだろうと思うんだがねえ。多分、明瞭に思われていた人生が「新しい学問」のせいで混乱させられてしまった、というのが実情ではないだろうか。
  • と、また放言してみたけれど、多分、こういうのが一般的な「哲学」イメージの根源になっているのは確かだと思うんだな。
  • 実存哲学? それはとりあえずおいといて。