たたがmixiに長文を投下していたから、おれも何かしてみたいと思った。それだから、おれも何かをするのだ。妙な詮索はやめにして頂きたい。何て言うのかな、僕はクリスマスだからどうとか、クリスマスだからこうだとか、そういう言辞にはほとほとうんざりしていた。そういうものが吹き上がっていると思っていた。クリスマスだからね、彼女彼氏とどこそこに行ってきてイルルミナツィオンがぎらぎらしてあたかも鰻の目のようなったよとか、クリスマスなのにさ、俺ってば何にもすることが無くてただ一人で小さな小さな自室に籠もって小さな小さな自己愛という名の斬鉄剣を磨いていたよ、みたいな、そんなような語りはもういいと思っていた。そんなものは毎年のことだから。知ってるかい、いやあ、多分知っていると思う、気付いているはずだ四コマ雑誌では四季折々のネタを毎年繰り返すんだってことを。夏なら海だ。宿題だ。花火だ。縁日だ。最近では夏コミを採り上げてみる漫画もある。秋かい? 運動会だろ遠足だろ芸術の秋に食欲の秋、捻りを加えるなら転校生ネタでもやってみるか。そしてこの季節ならクリスマスネタと正月ネタ、焼き芋や闇鍋会、寒中水泳に雪合戦というところかな。クリスマスネタをやるなら、まず彼氏のいない女の子のネタが定番。こんな日にもバイトが入っていてしかもそれはケーキを売るバイトときた。目の前でいちゃつくカップルを見て悔しがってみて、軽く嫉妬してみたりするけど涙が少し零れた辺りでコマ左上に振り向いて(三コマ目)、思い人が優しい笑顔でマフラーをプレゼントしてみますか(四コマ目)。二コマ目で左上を振り向くならそれは四コマ目がギャグ落ちの合図だ。
 それを地でやりますかあなたは。いやなに、本当にお付き合いのある人はそれでいいんですよ。それを語っておくことは大事なことだと思いますよ。ところで僕の地方では「大事」という言葉を「大丈夫」の意味でも用いることがあるんですよ。だからそれにさらに訛りを加えて「おめ、だいずか?」「んだ、だいずだいず」みたいなことを一人で言ってみたりして笑いを取っていたあの頃の彼、そしてそれに笑わされていたあの頃の僕たちは、なんとも了見の狭いことだったわけです。自分たちが既に訛っていることに気が付かず、それを訛らせ、訛りのある言葉を使う老人や他地方の人々を笑っていたわけです。なんと、おろかだったことでしょう。訛りがいけないというのではない。ただ、自分たちが捕らえられている陥穽に気が付かず、同じ陥穽を他人に当てはめようとしていた。その精神がいけないというのです。「大事」というのが実は方言的だったということに気が付いたのは高校生になってからでした。あれは確か二年生か三年生だった頃、いえ、二年生でしょうか、前後の文脈は把握していませんでしたが、ふと方言が話題になったのです。当時から優秀で、目されていた通り有名大学に合格し月の桂を折ることになるO君が、この「大事」という言葉について指摘をしてくれました。今でもはっきりと覚えています。なんなら物真似でもやって見せたいくらいですが、まあやめておきましょう。ともかく、彼が「「大事」って方言だよな」ということを言ってくれたのです。彼の卓見にはやはり目覚ましいものがあり、私たちの中には影で彼のことを悪く言うものもありましたが、それはそれで、彼の博学ぶりには舌を巻いたものです。彼には多少自分を頼むところがあり、及第点に満たない者を小馬鹿にする風がありました。だから彼をいけ好かなく思う者が出るのも当然と言えば当然、僕や、或いは僕の周りの人間もそうかも知れませんが、ともかくそんな彼の立場を案じたりもしたものです。
 だからクリスマスネタはやるまいと思っていた。今更、季節ネタのテンプレを増やさなくともよいだろう。僕らには、もっと豊富な選択肢があるはずなんだ。だから――、だから、こいこいさんがおれの暴食を見て「何か辛いことがあったの」と聞いてきたとき、僕はショックを受けた。僕、は、何も別にそんな、クリスマスに独りだからって冒険してみたんじゃない、んだ。おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい、おれの行為が無理矢理理由付けられようとしている。そんな、馬鹿な、これが、これが、これが、これが、これが、これが、これが、…クリスマスの暴力か。またしてもクリスマスは独り者に暴力を揮った。僕は、或いは僕に列するそうした思想の持ち主は、知らず知らずにクリスマスの長い長い腕に捕らわれ、絡みつかれ、縺れ、伸ばした右手は中華皿に向かうのではなくクリスマスの独り身の孤独に向かってアプローチしていた。驚愕だった。戦慄だった。朱塗りの店内が急に圧迫的になった。僕たちは、クリスマス的文脈の網の目の上でピチピチのたうつ醜い金魚みたいな腐臭を漂わせていた? なんということなんだ。何ということなのだ。
 クリスマスは昨日で終了。赤い鼻のトナカイとほろ酔い加減の中年妖怪には早々とご退場頂き、これで僕らは自由に語れるようになった。ほら、見なさい。彼が山上で垂訓するまでもなく祭りは終わり、僕たちはシューティングの話が出来る。
 昨日はこいこいさんと暴食をしたのち、ゲームセンターに入った。おれは東方シリーズでシューティングのレベルを積み、ちょっとゲーセンでもシューティングしちゃうぞ、っていう気分になっていた。これでおれもシューターかな、へへ、みたいな、ちょっと人にはおおっぴらに言えないような気持ちだった。こいこいさん怒首領蜂*1をやって見せてくれた。この時代でもいまだに戦闘機が地上の戦車を打ち落としたりするのかよ、ってのが正直なところだった。だってせっかく空中にいるなら空中のレベルでだけゲームした方がすっきりしないか? それから地上の星マークに自機を重ねて得点するのも、なんか変じゃないか? みたいな、すっかり人対人のシューティング世界に慣れ親しんだ気になっていた。それにこのトンデモなショットの量……! みたいな。だから、おれもたしかに怒首領蜂をやってみはしたけれども、その隣の虫姫さまの方が気に入った。何と言って、絵がきれいだよ。怒首領蜂はドットが粗い気がするわね! それに比べて虫姫さまはファンタジックな感じでいいんじゃない? でもっ、ああッ! 弾速が速ぇー! 見えねー! 得点の鉱石を自動回収するから敵弾と見分けが付かねー! …まあね? ゲーセンをやるなんてのはほんと、十数年ぶりなんですよ多分。筐体の前に座るとほんとに画面がデカいし、敵が現れる場所と自機とが離れすぎていて視点の移動に時間が掛かったりしてね。
 でもあれですわね、おれは東方をもっぱらやった人間だから東方としか比べられないけれども、それでもやはり東方のスペルカードシステムは慧眼だったのだね。まあ言ってしまうと、虫姫さまがおれは気に入ったんだけれども、ボスの弾幕が一本調子に見えてしょうがないわけだ。たしかに何段階か、攻撃パターンがあってそれなりに個性があるとしても、それでも、ねえ、どうもはっきりしていないんだな。こういう風に思うわけだ、紅魔郷で言えばチルノの「パーフェクトフリーズ」やフランドールの「恋の迷路」なんてのはまさしくキャラクターを表現している。というか、個性的だ。今日やった限りゲーセン・シューティングの弾幕は基本的に自機狙いでしょう。いやまあそれは初見でも何とか対応できるようにゲーセン向きに仕上げられているのさ、ていう擁護は多分可能だけれども、そしてだから東方ってのは家庭用に特化せられた、特殊な、ゲームなんだよ、というのも可能だと思うけれど、それでだから東方は弾幕シューティングであって純粋なシューティングじゃないんだよ、となって、そこに至ってZUNがどういうことを考えていたのかが少し分かった気がした。どこだかで書いていたと思ったけれど、スペルカードシステムというのはキャラクターをパッケージングする効果があるわけだ。いや、勿論彼が使った「パッケージ」という概念とは多少異なるとしてもね? 氷を使うキャラクターだから弾幕を凍らせる演出をする。そうするとそれはそのキャラクターがそういう能力を使ったんだな、と分かるわけだ。そうすると、そのキャラクターがゲーム中で目立つわけだろ。二面のボスは青い玉を吐き出すヤツ、なのではなくて、チルノなんだよ。で、そいつがバカだという設定になったら、今度はそれにちなんだ弾幕を用意する。多分、文花帖の「マイナスK」が顕著で、おいおい絶対温度でマイナスて、ということになる。ZUNは、こうしたキャラクターのパッケージングを「ダライアス」に初めて見出した、みたいなことを言っていたと思う。本の方の文花帖だったかな。まあそれはいいとして、だから、そうした点から、どうも東方とそれ以外のシューティングは分けられるようだ。だって多分、ゲーセンのシューティングで「そして誰もいなくなるか?」(フランドール)とか、考えられないんじゃないのか? 
 いやまあ、急いでちゃんとフォローしておくと、虫姫さまとか、好きよ? 結構。カラフルなファンタジーだし、低速移動でオプションからレーザーでボスにじっくり当てするのとか、楽しいわよ? 多分今日だけで二千円とか突っ込んだ気がするなあ。「虫姫さま 1.5 ver.」つうのもあったので、こっちもやってみたりして、恐竜の鼻っ柱にビームを当てまくってた。久し振りにマジな商業ゲームをやって、ああやっぱしこの業界まだ元気なのね的な、何か元気をもらった気がしたし、そうしてみるとグラディウスとかの時代よりも遥かに進歩してるんだなあと思う。さっき調べたら虫姫さまPS2に移植してるらしい。安いので買うかも知れん。が、どうよ。買ったらゲーセン行かなくなるか。何年ぶりかに行ってすぐ隠棲というのも、ねえ。
 虫姫さまの「マニアックモード」にも触れておかないとフェアじゃない気がするので触れる。まずですね、虫姫さまにはゲームモードが三つあって、オリジナルモードとマニアックモードと、ウルトラモードがあると。オリジナルモードは弾が少ないが速度が速い。マニアックモードは弾が多く速度が遅い。ウルトラモードは難易度が高い。まあ、なんだ、商業シーンから十光年ぐらい離れていたところから東方をやってゲーセンに来た人間には「従来のモード」と「弾幕モード」と「ルナティック」にしか見えなかったんだが、そういうモード分けと東方の弾幕特化のどっちが早いのか知らないのでその辺には口を噤んでおくけれども、まあともかく、まず始めにはオリジナルモードでやりましたね。そしたら上にも書いたように弾速がはえはえー。開始五秒で撃墜されましたよ。やべえ、これがゲーセンのスピードか。という感じですね。いやまあその、だって「マニアック」とか言われるとオリジナルで修練してから、とか思うじゃないですか。それで席を立ってこいこいさんとメダル競馬ゲームを見てきたら、やり慣れた人が座っていて、マニアックモードでやっていると。おうおう、かわすじゃねえか。という感じだが、ちゃんと言うと多分おれにもあれぐらいの回避運動は出来る。だって東方やってるもん、というのが恥ずかしながら言っちゃうとその理由だ。後ろから見ていて、次に自機をどう動かすかというのはほとんどイメージできたし、実際そのプレイヤーもその通りに回避した。ただなー、うん。これはこいこいさんにも言ったんだけれども、どの箇所でどの回避運動が要求されるかが分からないと対処できないから、弾幕モード(マニアックモード)は初見ではあんまり面を進められないと思うんだな。だから、あのプレイヤーはよくやり込んでるナア、ということなんですわ、とこいこいさんに言ったら、シューティングはやり込みゲーだったのか? と聞かれた。うんええまあ、てゆうか東方やってるとそうなってくるんですが一般的な認識とは違いますか。と思ったけれどゲーセンは騒がしかったので聞かなかった。結局マニアックモードは四回ぐらいやって気合い避けをこいこいさんに見てもらっておれも結構やるでしょ的なちょっと青臭い気分になって満足したのちには、まあいいということにしてオリジナルモードをやっていた。こっちは弾速が速いので自機の速度も中程度のものを選択するようになった。
 えーと、あー、まあ、こんなところで。

*1:怒首領蜂 大往生」。