• そしてレジュメ書きに戻るおれ。-0,39

★★15,02-

  • うーん。
  • 午後一時に起きて久し振りに何の気無しにテレビを点けてみた。ら、CM が冬とかクリスマスとか言っていて驚いた。そうか。今日は十二月二十日か。そうしたら急に季節感が感じられるようになってきた。そうか、おれが感じる「季節感」というものの中にはマスメディアによって演出されているものがあったのだ。このところは自分のタブブラウザの上で 2 クリック以上のところには、殆ど飛ばないでいたからなあ。最近妙に寒いと思ったら冬だったのか。テレビを点けるということは大事だな。ニコニコはそのコンテンツに重点があるから、季節感を与えてくれはしないのだ。どうやらそういう風になっているらしい。
  • 明石家さんまさんが茶髪になっていた。小堺という人(ごきげんようの人ね)は前からそうだったけれど、伝統とかそういうものを大事にしていそうな明石家さんまさんが茶髪にするとは、茶髪はそれほどまでに浸透していたのだなあ。テレビで露出する人が流行を取り入れることは大切なことだ。あの人は喋りすぎて声帯が相当危険な域に達しているらしいが、彼は技芸によってその地位にいるのだから、それでも喋るのだろう。我々も話芸について意識的になるべきなのかも知れない*1。-15,13

★★15,16-

  • 今知ったが、明石家さんまさんは落語家の出身だったのだ。それでは少しだけ、彼の真摯さをその落語家という出自に帰して理解しておこう。やはり落語家は語ることに熱心であると。-15,18

★★15,19-

  • ところで、いわゆる「感感俺俺」という現象について、少々考えておいてよいように思う。上では「おれが感じる「季節感」というもの」と書いたが、さて、問題なのは同族目的語の話とどのように整合的に考えるかということだ。日本語でも問題がないように聞こえる同族目的語的なフレーズは、まあ「人生を生きる」を挙げておけばいいと思うけれど、「夢を夢見る」は厳しいなあ。「歌を歌う」はオーケーか。そこで、「感情を感じる」はどうなのかということだな。「季節感を感じる」(「季節感」に引用符を付さない)は大丈夫なような気がするけれど、「感情を感じる」はアウトな気がする。西洋での passion はほらあれだ、パスコーから来てるわけだから、と思ったけれど、そっちの話は言語学になるな。それはいいか。
  • まあいいや。-15,28

*1:我々もかも知れない話法。