No. 9 僕の考えた新連載 (1 のために) (2)

  • 「僕の考えた新連載」の一つ目を書くための準備をしているわけなのだけれど、その、準備の二つ目です。
  • どういうことなのかというと、前回 (http://d.hatena.ne.jp/manthano/20080110/1199900620) の書き方ではどうもうまく伝わらない。らしい。周囲の何人かに話してみたり、また風の便りも貰ったのだけれど、どうも、こちらが企んでいることがうまく伝わっていないらしい。というわけで、それを明確にしておこう。ということなのだ。
  • かつて、「古畑任三郎」(のどのクールだったか覚えていないけれど)で、次のような指摘がされていた。即ち、いくら警察関係者だからって、旅先で何度も殺人事件に居合わせるなんて、おかしい。古畑こそが殺人事件を招いているんじゃないか? 長い人生で、偶然事件に巻きこまれるなんて、一度あれば珍しい方で、二度巡り会うなんて滅多にない。何度も何度も殺人事件に遭遇する彼は何者なんだ? というわけだ。これに関連して、阿部川キネコは、『ビジュアル探偵明智クン!!』の中で『名探偵コナン』の探偵コナンに似たキャラクターを殺人鬼のように描いている。これは、『名探偵コナン』に登場する探偵が余りにも頻繁に偶然から事件に巻きこまれていることを茶化している、と見ることが出来る。
  • 私はこうしたことを問題にしたいと思っていた。何故、探偵ものの探偵はそんなに事件に遭遇するのだろうか。探偵ものである以上は、一人の探偵が幾つもの事件に関わることになろう。では、何故彼は事件に出会うのだろうか。何度も事件に遭遇する人生は、普通とは言えまい。如何にその探偵が類い希な推理能力を持っていたとしても、いくら自分から事件に出くわすことを望んでいたとしても、だからといって、それが理由で殺人事件に出くわすとは限らない。或いは次のように言ってもいい。(私の知る限りの)探偵ものでは、探偵がなにゆえに事件に巻きこまれるかが描かれていない。
  • 「探偵が事件に出会うのは、そりゃあ「探偵もの」なんだからしょうがないんだよ」と言うのは、まあそりゃ、その通りだけど、ああも読者を驚かせるためのトリックを丁寧に述べる「探偵もの」にしては、無頓着すぎないか。或いは「探偵は、事件に巻きこまれる体質なんだよ」と言われるかも知れない。だが、それは一体どんな「体質」なんだ。そこで言っているのは「高脂血症」のような生体に関する体質ではない。それはきっと比喩で「体質」と言っているのだろう(そしてそれは「そうした「設定」」と言う以上のものではない)。たしかに、探偵が事件に巻きこまれるというのは、その探偵ものが採用している「設定」だろう。けれど、ここで問題にしているのは、その「設定」に説明がないことなのだ。
  • ここで強調しておきたいのだが、今回の「実験」では、私は当該の作品が「探偵もの」として「本格」であるとか、「叙述トリック」に凝っているとか、そうしたことは全て度外視している(というか「本格」や「叙述トリック」がどういうことであるか、殆ど予想が付いていない)。そうしたことではなく、ただ、「探偵」が登場し、特徴的な理由によって諸々の事件に遭遇してゆく、という筋だけに注目している。だから、といっては言い過ぎかも知れないが、出来上がった作品が、滑稽であってもよいし、またこの際、形だけの「探偵もの」であってもいい(『魔人探偵脳噛ネウロ』のような)。
  • というわけなので、私が求めているのは次のように言われる「ハイコンセプト」に似ている。

 ハリウッドではいわゆる「ハイコンセプト・コメディー」が持てはやされています。これはちょっと紛らわしいことばですが、高尚なものとか知的なものという意味ではありません。ハイコンセプト・コメディーとは、物語の全体がある単純で滑稽な前提から展開していくもののことを言います。お話の全体を言い表すには、たった一つのセンテンスに「そして、そこから愉快な騒動が巻き起こる」と付け加えるだけで十分です。たとえば、「男が女装して家政婦になりすまし、別れた妻の家庭と子供たちの様子を見守る。そして、そこから愉快な騒動が巻き起こる」とか、「テレビの SF シリーズものの俳優たちが、エイリアンによって宇宙を股にかける本物のヒーローと誤解される。そして、そこから愉快な騒動が巻き起こる」といった具合です*1*2

  • 私が考えたいのは、「当該の作品が採用している前提によって、探偵が事件に遭う」と考えるときの、その「前提」である。そしてその前提が滑稽なものであれば、その作品は「ハイコンセプト・ディテクティヴ・シリーズ」ということになるだろう。そして、その前提がまともなものであれば、まあ「グッドコンセプト・ディテクティヴ・シリーズ」ということになるのだろう。だが、これもまた重要なことだが、どちらかというと「グッド」よりも「ハイ」の方がおれは好きなので、専ら「ハイコンセプト・ディテクティヴ・シリーズ」を考えることにする(また、一般に、「当該の作品が採用している前提」を「コンセプト」と呼ぶことにする)。少しだけ言うと、多分、グッドコンセプトを考えるよりもハイコンセプトを考えるほうが簡単なんだ。だって、「その人が事件に巻きこまれる理由」なんだぜ。どんなまともな理由があるんだよ。
  • とは言え、なるべく「まともな」理由の方を目指したくもある。例えば、「彼はどんな場所にでも殺人の痕跡を認めることが出来る霊視探偵だ。そして、そこから亡霊たちの「生前の殺人事件」に巻きこまれる」*3 というのは避けたい。というのも、一つには、多くの人は「霊視」というものを胡散臭いと思っているからである。或いはこちらの方がより重要かも知れないが、「自分には出来ないだろう」と思っている。探偵はそうした「類い希な能力」として既に「推理能力」を持っていることになっているので、これは避けたい(「天は二物を与えず」)。
  • また、「核戦争が終結して暴力がすべてを支配する世界となった大地*4 を旅する男が一人。そして、そこから数々の殺人事件に巻きこまれる」*5というものも避けたい。。それは、最早この現実世界からはかけ離れた世界での事件であり、またその世界では殺人事件を推理、、によって解決することにどれほどの素晴らしさがあるのか、疑問だからである。*6
  • 最後に《歌野晶午『放浪探偵と七つの殺人』isbn:4062735261》について。ここでは専ら、上で言った意味でのコンセプトの観点から言うと、この本に登場する探偵の信濃譲二では、駄目だった。たしかにこの探偵が殺人事件に臨席するその仕方は自然なのかも知れないけれど、何故彼がそうも頻繁に事件に遭遇するのかについては、少なくともこの本には説明がなかった(と思うんだが、どこかを見落としていたらまた、その、軽く、耳打ちを、ね)。この作品には七つの短編が収められていて、その七つ目が「阿闍梨天空死譚」と言う。うん。実は信濃譲二は西方より来迎せられた知識と論理で人間じんかんの罪を闡明にする超探偵観世音菩薩だったんだぜーッ!! ていうオチなのかと思ったけど違った。この予想が当たってたら現代の推理小説界の余りの到達段階に絶句してさすがにおれの出る幕はないや、と思ったところだが、違ったのでもうちょっと頑張ってみる。*7
  • というわけでした。まあ本番に入るのはとりあえず耳打ちされた限りの「猫丸先輩」シリーズを見てからだけどね。

*1:それぞれ、『ミセス・ダウト』(一九九三)と『ギャラクシー・クエスト』(一九九九)のことです。――原注。

*2:《ジュリアン・バッジーニ(著)、ピーター・フォスル(著)、長滝祥司(訳)、廣瀬覚(訳)『哲学の道具箱』isbn:9784320005730》pp.118下段 - 9上段、及び注。

*3:このアイディアは id:kugyo に由来する。

*4:北斗の拳 - Wikipedia」より。

*5:これも再び id:kugyo に由来する

*6:――だが確かに、「核戦争が終結して暴力がすべてを支配する世界となった大地を旅する男が一人。数々の殺人事件に巻きこまれるがその推理力を駆使して生き延びる姿は、いつしか彼に「知謀の探偵」の二つ名を与えていた――」という話はイケそうだ。ラオウに囲われた辺りでケンシロウに殺されそうだが、ちょっと保留しておく。多分問題は顔の彫りの深さが時代に合うかどうかだろう。

*7:いや、一応書いておくと、《歌野晶午『放浪探偵と七つの殺人』isbn:4062735261》は面白かったんですよ。読んでいるときにも相変わらず推理の周辺には興味の無かった僕ですけれど、まあその、小説を余り読まないからねえ、文章に関する比較を言っても説得力がないからあんまり言いませんが、他の現在の推理小説も続けて読んでみようかと思うぐらいでしたよ。あと、信濃譲二は《水上悟志ぴよぴよ 水上悟志短編集Vol.2』isbn:9784785927417》の富田林みたいな感じだと思います。まあそれはいいや。