生島淳を読み始めた

  • とうとうルドロジー関連の本に手を付けることが出来た。余裕に時間が無さ過ぎです。
  • まだ勿論読み始めたばかりなので、以下、だらだらと簡単に雑感。
  • この本は大体、スポーツに於けるルールって大事だし、それ自体面白いよ! という話をする。但し、国際スポーツ大会に於いて日本が冷遇されているというのが通底している感じ。そりゃたしかにスキージャンプなんかでは僕もその話を覚えているけれども(日本勢がメダルを獲得しまくったら、スキー板の長さを変えられた、とか)、なんでそんな視点から話をするんですか。そんなに嫌ですか。まあ多分、そういうルール改正を実際にする際には「政治力」みたいなものが入り込んできているんだよ! というような、現場で起こっていることに問題意識があるのかも知れない。
  • 第一章ではイギリスの話をする。フットボールがサッカーとラグビーに分かれる辺りの話を歴史的な経緯を交えて語る。なんか、フットボールパブリックスクールの高校生の人たちが交流戦をするときとか、大学に上がってみんなでフットボールをしようぜ! っていうときに、なんだか高校毎にルールが違ったのでゲームが出来なかったのでルールを摺り合わせ始めた、という辺りから成立したらしい。でも各校毎にプライドの高い紳士だから中々統一的なルールが出来なかったんだけど、カップを争うような統一戦をやるようになったらみんなが纏まりました、というストーリーらしい。で、そのちょっと前辺りで、色々あるルールの中には変なのがあって、フットボールなのにボールを手に持って走ってもいいというルールを採用している学校があったんだそうな。これがラグビーの起源らしい。お前フットボールで手に持って走ったらイカンだろう、という風に思うか思わないか辺りで、サッカーとラグビーに分かれたようなそんなようなストーリーが描かれていたように思うけれど確認しないでどんどん書いていこう。
  • 始めは、フットボールはお祭りの一つだったんだそうな。お祭りで、町中を舞台としてボールを争って動き回る、というようなもので、そのときには何十人もがチームを成していた。で、そんな過去があったものだから、ラグビーではそんなお祭りがすぐに終わってしまうのはつまらない、というような理由でトライを無意味なものにするようなルールがあったらしい。この辺もラグビーをよく知らないのでよく理解できないのでよく覚えていないが、まあそんなわけで、ラグビーは当初、お祭りとスポーツ競技の狭間にあったらしい。でも、チームが一杯出来て、交流戦とか試合とかが沢山行われるようになっていくと、そういうルールはわけが分からない、というわけで、改正された。結局、サッカーにしてもラグビーにしても、二十世紀に入る辺りでルールが現在の姿になったのだそうな。その辺りで、近代スポーツが成立した、ということになったらしい。
    • 近代スポーツって何だよ、という風にも思うが、まあ多分現在行われているスポーツと殆ど同じものが出来上がった頃のスポーツを、現代と区別して「近代」と呼んでいる、という辺りが実情ではないかな。分からんが。多分、お祭りから競技に変わる辺りに節目があったのだろうが、その辺のことははっきりとは述べられていなかった気がする。
  • レフェリーとアンパイアの話もあった。サッカーでこれらが整備され、それからラグビーにも導入されたのだそうだ。始めサッカー(フットボール)は各校の名誉を懸けて戦われるようなもので、反則とかというのはあんまり起こらないでしょ、みんな紳士だし、みたいな感じだった。でも、カップを争って戦うようになり、チャンピオンシップが重要になってくると、また、リーグになって海のものとも山のものともつかない連中が入ってくると、反則スレスレだが得点率の高い戦法が採られるようになってくる。と、そういうものをちゃんと裁定したり、戒めたりすることが大事になってくる。ので、次第に、アンパイアよりもレフェリーの方が重要になってきたのです。という感じ。当初は、各校の代表みたいな人がアンパイアをしていたのだけれど、だんだん話し合いで決着がつくことが無くなってきて、それではいかんだろう、ということになった。試合もそのあいだは停まってしまうので。というわけで、レフェリーの権限が強くなってきた。歴史の始めの方ではレフェリーは椅子に座って試合を見ていて、アンパイアとか各校の代表とかが、ラフプレイをそのレフェリーの所まで訴えに来て、それで裁定が下されていたのだけれど、お前そんな所からプレイが見えるわけないだろ、というわけでレフェリーもコート(ピッチか)の中に入って審判をするようになった。というわけで、各校からのアンパイア二人+レフェリー一人、という三人制が、地位の低かったレフェリーの地位が上がる、という形で、現在の三人で審判をするという制度になったのだそうだ。レフェリーとアンパイアって別のものだったんだね! 本当はよく分かんないんだけどさ。
  • ラグビーの方は、もうちょっと、こうした審判員の必要性が強くなる、という動向は遅かった。らしい。紳士のスポーツという側面が強かったらしく、勝ちにこだわるというよりは、正々堂々と戦うことを望んでいたらしい。一つ、エピソードが引かれていた。日本がどこかの国と戦ったとき、ゆうても戦前だと思いますが、まあそのとき、日本側に一人欠員が生じたのだそうだ。ルール的には補欠というのがいなかったので、どうすんの、ということになっていたとき、向こう側の西洋の紳士が事情を聞きに来た。日本側に補欠がいないことを知ると、相手側は日本が欠員を補充しないならこちらは一人を外そう、と言いだしたのだそうだ。結局、日本側はルール的にはいなかったはずの補欠を出し、相手側はそれを不問に付した。し、加えて審判もそれを黙認した。とかなんとか。で、そのあとの歴史では、いや、いいから補欠用意しておこうぜ、欠員が出たら困るじゃん、みたいな感じで、補欠というのが公式に認められるようになったのだそうだ。
  • というのがまあ、内容の簡単な纏めだけれども、まあそうねえ、どうなのかなあ。いや、まあこの本から読み始めたのは、いきなり理論的な考察に飛ぶのではなくて実地的なエピソードを知る所から始めた方が、結局は色々な所に考察を巡らすことが出来るから、いいかなあ、という風に思ったからなのだけれど、そうねえ。余りにもエピソディックかなあ。歴史を知っておくのは勿論良いことなのだけれど、……まあそうねえ。まあ実際、ルールが変えられる際の理由とか、経緯とかも述べられるからいいのかなあ。でもねえ、おれとしては、もうちょっと、スポーツというよりはゲームの方に比重を置いておきたいと思うし、……スポーツのことを考えるんだったら、おれとしてはルールからなるゲームとして、というよりは、地域に根ざしたスポーツクラブの働き、のような、もうちょっと社会寄りの話の方が興味があるんだよねー。そりゃ、スポーツに於いてだって、ルールは変わるけれども、そしてそのときには実際の政治力のようなものが重要になってくるとは思うけれども、おれがルールについて興味を持つのは、そういうルールを変える・力関係的な要因ではなくて、ルールを変えることになる要請がどういう所から湧いてくるのか(上だったら、チャンピオンシップが重要になったこととか)とか、ルールが変わったことでどういう風にゲームが変容したのか、とかといった方だからさあ。ちょっとねえ。
  • まあ、続きも読むけどねえ。という感じかな。
  • ……この本は、まだルドロジーではないのではないか。多分ルドロジーではない。そんな気がするね。