• たまには日記を書く先を間違えてみる。まあ例によって何言ってんだか分からないと思うけれども。
  • 部屋が片付いた。これまでにないほど片付いた。思わず写真でも撮りたくなるほど片付いた。でも写真は撮らない。だって、そうだろ。部屋が片付いたからっていちいち写真を撮ってご覧よ。おいらがもう一回り大きくなることには大金持ちダゼ。嘘です。でも写真は撮らないのです。なぜなら、僕は、文章の持つチカラって奴を、うぐ、信じているのだから……。前にもこんなノリのことを書いた気がするなあ。まあいいや。所詮一人の書きものですから自然とワンパターンになるのです。仕方ないね。でももっと歪みなく行きたい。
  • 今回部屋を片付けたのは、と言いますか、部屋が片付いたのは、本棚を買ったからなのです。もう少し厳密に行きますと、買った本棚をしかるべく配置して、中にものを入れたからなのです。今回本棚の中に入れたのは、未読の漫画雑誌でした。これこそ、写真にでも撮ってやろうか、と思わせるくらい、圧巻でしたね。B・G・M、オン! ワルキューレの騎行! いいか良く聞け蓬莱ニート、このカードは場に出たとき手札から一枚クリーチャー・カードを選んで場に出すことが出来る。「攻撃力 1500 以下!? ハッ! あ・の・と・き!!」 そういうわけなんですね。長谷川裕一的に言うと。ええ。買ったのは五段の本棚なのですが、下から四段がきらら系列とぱれっと系列と、REX で埋まりました。未読の。おいおい、雄弁なのは顔だけにしてくれよ。おれは、いつから、漫画に対してこういうスタンスを執るようになってしまったのだろうか。昔はちゃんと読んでいたのに。そうだなあ。なんでだろうなあ。やっぱりあれかなあ、面白い漫画ばかりが載っているわけではないからかなあ。よく周りの人たちはきららとかの四コマ漫画を見て、と言いますか僕がきらら系列を買っているということを見聞きするとこれ見よがしに僕の前で読んで見せて、決まってこう言うのです。「これ、つまらないよ」。あのな。漫画雑誌を読む人は、必ずその漫画雑誌の漫画を面白いと思って読んでいると思ったら、大間違いですよ。あのねえ、きららとか、あの辺りはねえ、何が起こるか分からないから、興味深くて、面白いんだよ。以前、こういうのもあったのですよ。ええとねえ、ちょっと題名は覚えていないけれど、代表的な事例だから敢えて言いますけど、登場人物たちは、皆、女の子で、魔法使いなのです。そして、高校生なのです。フム。だから、その漫画は、魔法学校になっている高校に通う、女子高生たちの、漫画だった。けれど、その漫画には一切魔法に関する描写が出てこなかった。登場人物である彼女たち(男性が登場しないので複数形は「彼女たち」でいいでしょう)は魔法が使えない人たちが行く女子校の学生と同じように、授業を受け、授業中に居眠りをし、そして放課後に友人に起こされて、そうして友人たちとカラオケに行こうよ、っていう話をするのです。おい、あの、なあ、あれ? 魔法が使えるっている設定はどこ行ったの? そう思いませんか。これが週刊少年ジャンプだったら、まあ登場人物は少年ということになるのでしょうが、放課後になったらイケ好かないイケメンのライバルがボクの片思いをしているあの子をデートに誘おうとしてる! ああもう、止めなきゃ! でも、あいつは魔法の腕が学年一だし、それに引き替え、このボクは……。みたいな。そんな風になるのではないのですか。ねえ。しかしね、きららでは何が起こるか分からないと言ったでしょう。その号に載ったその漫画は、彼女たちがカラオケに行くために校門を出た所で終りましたよ。……これは凄いのではないか。そう思いませんか。ここには、その、なんていうか、週刊少年ジャンプ的な、連載第一回目を見たら続く二十週ぐらいは察しが付くような、そんなような安穏とした雰囲気はないのです。連載が始まる。第一回目だ。大体の設定が語られる。さあ、そこからです。この書き手はこの設定をどう料理してくれるのか。魔法使いの女子校モノ? じゃあ、魔法が苦手な主人公が、意地悪な先輩に虐められてみますか? ははっ? これは週刊少年ジャンプではありませんよ? さあ、勝負なのです。読者であるあなたと、書き手である漫画家と、どちらが、より多く常識的な漫画の有様から逸脱しつつも漫画としての体裁を取り続けていられるような展開を思いつけるか。気を引き締めて欲しい。相手は、当代切っての変態ですよ。俊英が集められている。あなたの奇想が試されているのです。
  • でも、たしかに、そういう読み方をして漫画を読んでいくのに疲れることもあります。そりゃあそうなのです。たまにはストレートに、展開が読め読めだけれどもそれでもそうそう、このノリなんだよな、みたいな、そういう感じで楽しんでいきたいと思うこともあるのです。いや寧ろ、何ヶ月間も雑誌を買ったままにしていた私は、疲れ切ってしまっていたのかも知れません。溢れんばかりの奇想でこちらを当惑させてくれる書き手だって、そりゃ実のところ、多くありません。フム。もしかしたら私の奇想のレベルが上がったのだとしたら、それも理由となるのかも知れませんね。もしも私の奇想のレベルが十分高ければ、雑誌に登場する作品たちはどれもこれも平凡に見えるでしょう。いや、だが、そうでもなさそうなのです。多分、私は、単に、食傷してしまったのだ。なにしろ、きららを創刊二号から買い続けているのです。それ以外のきらら系列は全て買い続けています。REX は比較的最近ですけれどね。ええとだから、かれこれ、きららは、ええと、買い続けて六年目になるのですね。小学一年生だった男の子は、(さあ、ここで私と奇想の勝負ですよ、)物置から古ぼけた PC を見つけ出してプログラミングを学び始めている頃です(ああ、いや、これでは私の敗北でしょう)。あの頃浪人生だった男子学生は、今では立派な自宅清掃員になりました。自分の仕事の出来に感動して写真を撮りたくなるというのですから、殊勝なことではありませんか。だから、ここ九ヶ月分の未読雑誌で新調した本棚をいっぱいにしても、良いではありませんか。ああ、だがしかし、だからといって週刊少年ジャンプを買って読む気にはなれないのです。その代わりに、私はこのところ、気になった既刊の単行本を纏め買いすることが多くなりました。それが、良いことなのか、悪いことなのか、私自身には即答が出来ません。ですが、このようにも思うのです。そろそろ、きららを再び読むべき時が来たのではないか。詰めたばかりの雑誌を本棚から取り出して、再び、そう再び机の傍に持ってくる時節なのではないか。そう。詰めたばかりの雑誌を本棚から取り出して、です。これは緊張感のあることですよ。リ・クリエイションです。既に作家によって作られたものを読みながら、自分なりの話の転がし方を捻り出す、第二の創作なのです。決して多くの人には勧められませんが、どうです、あなたも、やってみませんか。――尤も、何かを保証してあげることは出来ないのですけれど。
  • ところで、上は、私がよく見に行くアンテナ先の人の考え方の影響を受けていると思います。きちんとした参照箇所を挙げることは出来ませんし、しませんけれど、そういう影響関係があるのだと、私自身思っています。
  • ところで、ダーク潮干狩りって、本当に感心するほど良いネーミングですよね。そう思いませんか。