私の上に住んでいるひとたち。「虚々実々」

  • 思った以上に読書会先生が早く終わったので久し振りにドラマチック日記でも。虚実の入り交じった話ですよ。一応ね。
  • 私は本を多く運び入れる関係上、一階に住むのを好むのだが、このたび私の真上に住むことになった人は、変わった人と見受ける。いや、私の方があとに入居したものと思うが、それでも、今私の真上に住んでいる人は、ともあれ私の真上に住むことになった人なのだ。
  • 私は、私の真上に住むことになった人の真下に住んでいるから、色んなものが降ってくる。おかしな話だ。これまでに降ってきたものは、雨、傘、白く泡立った洗濯機の排水、洗濯物、そして妙にふかふかしたティッシュの束である。雨は、どうも、私の部屋に降ってきたようだ。いや、私の部屋に垂れてきたものは、どうやら雨だったようなのだ。つまり、漏水である。あれは雨の強い日のことだった。私は日頃の大学院生活の疲れから床に伏せっていた。「ねぬいにゃ〜ん。わふ〜ん」と言っていたのは私だ。部屋は外の灯りを反映して薄暗い。そとは豪雨。劇しく雨が降る音が聞こえる。ほふふ、降っておるわ。そう思っていた。だが、不意に大きく規則的な雨音が聞こえだした。私が飛び起きて確認するに、それは漏水である。私は管理会社に連絡し、業者の派遣を受けた。雨は次第にやみ、業者は傘も差さずに外から私の部屋を見ることが出来た。それがどうも、真上の部屋のベランダのドアが開いていたらしかったのだな。業者はそうとは言わなかったが、管理会社が真上の住人に聞いてみた所、雨が進入したものという報告が為された。なる。ほど。真上の住人はアイオロスよろしく豪雨を部屋中に受け入れ、それで何かをしようとしたのだな。それが私の部屋に漏水を齎そうとする悪意に基づいてのことでないと願うばかりであるが。
  • 傘。傘は空から落ちるものである。雨が空から落ちることのない天候の日には特に。私が思うに、私の真上に住んでいる人たちは何かが降っていないと気が済まないのではないか。雨が降ればよし、特に豪雨であれば正気を保ってはいられないのだろう。雨が降らないときも同断。天が雨を降らさないのであれば我が降らすのみ。雨よ降れ。雨よ降れ。さもなくば傘を階上より落とし我の雨に対する無防備を示そうではないか。きっとそんな感じなんだと思う。
  • 白く泡立った洗濯機の排水。なんとかなんないんですかね、あれ。僕はいいですけど、普通の人だったら注意しに行く所ですよ。とまれ恐らく彼らの洗濯機は階段側に設えられているのであろう。確かにそれ以外に洗濯機の置き場もないのであろう。であれば、その排水が階下に垂れてくることも致し方ないことなのだろうか。そうなのかも知れない。雨樋にパイプを接続することもなく、ただただ、洗濯機の置いてある床に、排水を流す。宜なるかな。それが洗濯機にとって自然体なんや。地面に流れて行く配水管を間近に見て、鬱憤が溜まっていたのであろう。ああしてホースから排水を自由に垂れ流すのが、洗濯機のベストテンションなのかも知れない。相手が排水を垂れ流してきたぞ。かつての私たちと同じだ。さあ、どうする小僧……? そう。我々は問われている。洗濯機から白く泡立った選択排水を垂れ流す様を見て、我々は如何にすべきなのだろう。私は、ただただ、ああ、白く泡立った洗濯機の排水だな、と感心し、空の雲行きを確かめるのだった。この分では雨は降るまい。ならば洗濯をす可くまた排水を垂れ流すか? それも良かろう。それも良かろうとも。
  • 洗濯物が落ちてくるのは非常に常識的なことだ。私がなにも意図してそうしているわけではないのだが、庭の雑草が背丈ほどになっている。悲しいことだ。そんな青々と生い茂った雑草たちの中に白いシャツが覗いているときなど。二階のベランダの物干し竿に下げられた洗濯物とは、即ち、ハンガーに生乾きの衣類が絡み付いたものである。これが、物理学、否、工学を駆使した仕方で 2 メートル超の物干し竿に嵌められている。我が階上の住人にしてみれば、この物干し竿が安定的に中空に留められているというだけでも感嘆すべきであるのだから、そこから洗濯物が外れようとも、さして驚嘆には値しない。驚嘆には値しないが、しかし、哀惜を感じるのは人情味を残した人間には当然のことと言いたい。「あ、洗濯物だわ」。不図、そんな風に咽喉から声を弾じる。「あ、洗濯物だわ」。私は雑草の群れから洗濯物を摘み出してこなければならないのだろうか。それが私の仕事なのだろうか。いっそ、このまま、階上の住人の洗濯物には気の付かぬまま、自室に籠もってスーパーロボット大戦で地球を守ろうか。そんな風にも思う。しかし、私は、矢張りこの世を愛する人間として、また洗濯物を落としてしまった人を思いやる人間として、その洗濯物を拾わずにはいられない。拾わずにはいられないのだ。そのことを実に良く理解しているから、私は「あ、洗濯物だわ」と言うのである。
  • 妙にふかふかしたティッシュの束。今日は、妙にふかふかしたティッシュの束が、落ちていた。私はこれまで、落ちてきたものに対して悉く理解を示してきた。それらの中には理解のしがたいものも含まれていたが、事実として私は全てを理解していると言って過言ではない。だが、「妙にふかふかしたティッシュの束」? これは、私にとって大いなる謎である。いや、一つだけ、案がないではない。それは……、その、アレだ。アレ。……そーいえば昨日の夜はみょーに上が騒がしかったかナー。こんなにフキフキしないとキレイキレイできなかったのかナー。イヤー、……お盛んなことですナー。…………否。そうではない。昨日の夜騒がしかったということを私は記憶に留めていない。それに、見ろ。ティッシュの束は幾つも放り投げられている。私が初めて目に留めた地面に転がっているのが一つ。塀の上で引っ掛かっているのが一つ。そして、塀の向こう、お隣の普通の民家の庭の椰子の木の上の方に引っ掛かっているのが一つ。いずれも大きさに優劣はなさそうだ。そして、一つ一つがこれほどまでに大きいのであるから、これら全てがフキフキに使われたのだとしたら昨夜の行為はただの営みではなく、寧ろ乱痴気騒ぎ。何人もが入り乱れての、そう、貧富と思想とを問わぬ混雑としたものであったことになろう。それは、この世で実現されることのさして多くはない類の事柄ではないだろうか。この紙束がフキフキに使われたものであるという推察はあまり現実味がなかろう。では、一体、これらは、何なのだろうか。私は理解に苦しむ。私は、とりあえず地面に落ちていた一つを手にとって塀の上に安置した。地面まで落ちてこないように。私は地面に置かれた妙にふかふかしたティッシュの束など見なかった。そういうことにしよう。塀は私の目の高さほどある。これであれば、自転車に乗るため玄関を出れば急な回転運動をしなければならない私の目にとまらないことも自然であろう。斯くして私はコンビニエンスストアにジュースとアイスとケーキを買いに行く。しかしそれにしても、ティッシュを大量に使うことがあるにしても、どうしてそれが外に向かって投げられているのだろうか。私には理解できなかったし、今も出来ていない。恐らく今後も理解できないであろう。それとも本当に昨夜、乱雑極まりない桃色の宴会が繰り広げられたのであろうか。そうなのかも知れない。私はここで考えるのをやめようと思う。