• そういうわけで(どういう訳かは私と極少数の人が知っていればよい)、坂を登ってきた所の例の「図書館」に来た。なるほどなー。こういう感じか。
  • 噂通り、広くない。というか、狭い。ここでおれは思い出す。あれは、大学院浪人をしていた年の夏である。こいこいさんに手伝って貰って、英語の「勉強」をしていた頃のことである *1。そうだ。あの頃に何度か行った有料自習室を思い出すのだ。
  • そこと比べて、ここはどうか。まず第一には、ここは飲食料の持ち込みと、飲食が自由である。あそこはそうではなかったように思う。次に値段だが、ここは、例えば六時間で 650 円である。あそこは、ちと覚えていないが、これの一.五倍は掛かったように思う。まあ詳しくは覚えていない。偉く高かったように思う。また、ここは、茶が出る。また、入館すると、茶券が一枚出る。つまり? おれもまだ良く把握はしていないが、一度来たら二杯は確実に飲めるということか。その料金込みでの値段、ということなのか。多分、そういうことなのだろう。では静かさはどうか。それは、まあ、向こうの方が上だったろう。何しろ、床は割りとちゃんとしたカーペット敷き、そして背の高いパーティション。急に閉まらないよう細工された扉。机の上には厚紙が敷いてあり、ものを机に置くときの音も、管理下にあった。そして、「ペンの投げ起きはしないで下さい」という注意書き。大したものである。ここには、そういうものは無い。パーティションも低いし、床は普通のフローリングだ。空調の音もしている。机の大きさはどうか。……向こうの方が大きかったような気もするが、同じようなものか? いや、向こうの方が大きかっただろうな。そういう風に思う。
  • (18,55) 今、気付いたが、正面に座っている人は、研究室の人である。
  • それはともあれ、もう少しここと、とうぽんの自習室の比較を続けよう。使用者の顔ぶれはどうか。あちらは、各種の資格受験者が主であったように思う。法律系や、会計系の資格のことだ。あとは、趣味の老人などもいたかな。ここには、どうやら高校生もいるようである。なるほど。そういう感じか。思わず受験勉強しちゃう感じか。それはそうなのかも知れない。立地を考えればな。分からない話ではなく、分かる話です。
  • 過日は、少々羽を伸ばしすぎてしまった。展翅台に pin down されますよっと。そういうわけで、おれは反省した。というわけなので、矢張り、心には愛を。頭には冴を。出来たらお財布には諭吉が、身体には健康が在ってくれると良いのだけれど、まあそういうものは実際の努力が必要であるからして、心持ちと生活の律動によって容易く実現される愛と冴とをわたくしの共としよう。
  • 思うに、多分今の環境では、私は勤勉でありさえすれば問題ないようである。だが、勤勉でなければならない。この二者が逆接で繋がることに得心がいくようになるには、ちょっとした修練が要るかも知れないんだがまあそれはいいや。
  • これまで、最近はこの紫本にあまり書かずにいた。それは、書くべき、そして書いてもよいようなことがあまり起こらなかったからである。きっと、これからもそうであろうと思われる。だから、僕は、書いてもよいことの基準を引き下げるようにしよう。僕も、もう少し、ネットに露出しようと思うのだ。
  • それにしてもここは、持ち込みのパソコンでネットに繋がることが出来るというのが素晴らしい。いや、かつてのあの有料自習室も、パソコンの持ち込みは出来たはずなのだが、確かパソコンを使える席は限定されていたはずであり、また、その当時おれは持ち運んで使う為のパソコンを持ってもいなかった。それにしてもだから、おれは、この情報技術が広まっている社会に少しは感謝すべきなのだ。それが私を翻弄しようとも。
  • (19,35) ああ、今サイトで確認したのであるが、とうぽんで数回利用した自習室の値段は、六時間で丁度倍である。その上、午後十時十分までしかやっておらず、机もサイトの写真で見る限り、今座っている机よりも小さいなあ。まあ、そんなものなのかな。立地が立地であるからなあ。

*1:私が「勉強」と言うときには或るニュアンスがある。まあそれは当面は関係ない。