体力がない

  • 風呂の中で考えたことだが、おれの運動不足は本当にやばい域に達してしまったのではないか。おれは、いつ頃から運動をしないようになったのだろうか。それは、高校からであった。中学までの運動部所属の経験によって身体的な運動というものを烈しく憎むようになった。それはもう、冷静に考えられないまでに憎んでいた。軽蔑していた。疎んじていた。今からでも当時の指導者達に説教と訓戒を垂れに行きたいくらいだ。かつての教え子であるこの私がだ。教育者としての年月を重ね、児童と生徒を訓育する立場としての己に誇りを持ちつつある彼らを叱りたい。或いは名誉ある教育者として臨終しているかも知れないあの者に怒声を浴びせかけたい。この憎しみは死して終わるものではない。
  • まあそれはそれとして、どうもあの頃のことを考えると今更ながらに怒りが湧いてくるのだが、ともあれ、最近では、運動というものを評価するようになってきた。これは大いなる前進である。知り合いが運動をするのを許せるようになったのが大学生になった頃。自分にとって運動をすることが健康を保つ上で有用であると認めることが出来るようになったのが大学部生高学年の頃。運動をショウビズにすることが大いなることであると思えるようになったのが大学を卒業して一・二年の頃である。最近では、「運動をしなければならない」と思うようになってきた。いまだに「散歩をすると考えが浮かぶ」というのは嘘である(或いはおれには起こらない現象である)と思っているが、ともあれ気分転換になることは認める。健康によいのも認める。そして特に僕にとって、そろそろマジでやらないとまずいのだということも、認めようじゃないか。
  • しかしそれにしても、いつ、どこで、どういう運動をしたものだろうか。僕の好みは水泳だ。だが、今所属している学校のプールには屋根がないのだという。確かめに行ったわけではないが、そうらしい。もういっそのこと、近所のスポーツジムに登録してしまおうか。月謝が馬鹿高いのだが。それとも、金を払ってしまったら真面目に通うのだろうか。そうなのかも知れないのだが本当に月謝が高い。そのために私は二の足を踏んでいる。詰まり、私はジムに通わずとも運動をすることが出来ると想像しているのだ。
  • 別段何かイヤなことがあったわけではなく、ただスポーツに関することを思い出していたら如実に怒りが湧いてきたのだった。これが……わたしの……業……。それはよい表現だが。