北海道は試される大地と聞いた。何が。私たちが。それはかつて森を切り拓いてこれが我と我が大地なるぞと、これこそが我と我が大地なるぞと、試さんとするものは我が高みに敢えて近づき、頭を垂れ膝を屈せよ、そは南天から力萎えたるものの頭上に降り注ぐ怒りと、悲しみと、定めと定められたる時の刻む音であろうか、否迸る力の躍動である。それこそが北海道民の心意気であると思われるんですよね? ともあれ北海道は私たちを待ち受けている。私たちが北海道に降り立つのではない。北海道が私たちを降り立たせるのだ。私たちは単に生まれるのではない。私たちは北海道によって北海道に降り立たされる為に生まれた。私たちが歩むのは目的地に向かってではない。では私たちは北海道に向かって歩んでいるのか? 私たちは目的地に向かって歩んでいた。しかし私たちの足は北海道へ? 或る意味では。私たちが私たちの目的地を北海道にするのでなければ、私たちの足の向き先が北海道であるか、或いは私たちの歩むそこを含んで目的地が北海道である。そうとも、私たちが試されているならばそこは、そここそは北海道であり、北海道はここであった。遥かなる昔から。私たちが私たちの目的地に向かって歩んでいるならば。