インターネットは楽しいけれど、見たくないものもあるのであり、つまり、何が言いたいのかと言えば、僕は、向かっ腹を立てたいが為に向かっ腹を立たせるような記事を読みに行くことがある。いけない。そういうの、いけないと思います。一種の自傷行為とちゃうんかいな*1。いけないいけない。もっと心穏やかに。ね。

 (3,35) とは言え、ちょっと反省してみればインターネット上の大抵どんなコンテンツにも見たくないものが紛れ込む可能性があるのであり、そういうリスクと釣り合うと思うサービスを、僕は見る。そうだなあ。ニコニコ動画を作業用 BGM として利用するという点に於いてだけインターネットと関わる、という関わり方もないではない。ものそれでいいのではないかという気もする。

 しかしながらこうやってブログは書いてみるのであり、ブログに書いたこと(或いは書いたという事実)が話の種になることもあるのであり、まあそれはそれで面白いことなのであり、その面白さは他では得られないのであろう。だがもうちょっとこう、まじめにインターネットを使うべきではないのか。もっと心騒がされず、もっと、自分にとって使いやすい仕方でインターネットを使っていくべきなのではないか。そうなのかも知れない。

 面白いことを言う人は居るのであり、面白いことを言っていると思ったがなんだかそうでもない発言をする頻度の方が多いということが時間を経る毎に分かっていった人も居る。そういう人や、或いはそういうものを出すコンテンツサービスからは私は手を引いていった。もうインターネットにそれなりに深く関わるようになってどれくらいの時間が経ったのだろうか。まあ少なくともこのブログを始めて 8 年が経過しているのだから、まあそういうオーダーなのであろう。はあ。これでもインターネットとの付き合い方は大分多くを学んできているように思うのだが、そうでもないのだろうか。もっとインターネットのコンテンツの多くを、見下げ果てるべきなのだろうか。その時々によってインターネットから得たいと思うものの類いは変わるのだから、そのことについて自覚的であるべきなのだろう。

 (3,58) 詰まり、今おれは、怒りっぽいのだ。怒りっぽいというのは、なんだか小学生が使うような言葉だが、それは仕方が無い。ちゃんと描写すると大変なことになるのだから。

 (4,16) 全く以て徹頭徹尾そういう話ではない。全く以てそういう話ではないのだ。

*1:はてなキーワードによる簡単な語義説明によれば「自傷行為」ではないらしい。まあどうでもよいことだ。