『ゆゆ式』の終わりが皆を殺す。願わくば、私にだけは『ゆゆ式』の終わりが訪れぬことを。

(9,20) それにしても、たまには小説のようなものも読まないと、日本語がどんどん下手になっていく。日本語が上手であることは、別に必要ではないのだけれど、日本語が下手であることは悲しいことだ。また、日本語が下手になることはそれよりも悲しいことだ。

(9,33) 実は、僕は今でも「創造主探偵デウス・エクス・マキナ」というネタは気に入っていて、というか、まだあのネタはイケると思っていて、時間と余裕さえ有ればちょっと手を出してもよいかと思っている。勿論、実際に手を出すに至るような時間と余裕が得られることは無いとも思っているので、詰まり、実際にやる気は無いのだけれど。ともあれ、主人公が世界の創造主であるような探偵もの、というアイデアはよいアイデアなのではないだろうか。それにしても気になるのが、こういう探偵にとって、殺人事件も自身が創造した事柄なのだろうか。多分そうである。この人物は、世界を造ったが故に、殺人事件も造った。そしてそれ故に、当該の殺人事件の犯人が誰であるかも知っている。これは、knowledge by creation、或いは knowledge by construction といった風であって、自分が作ったものだから細部まで分かっている、という在り方をした知識なのだと思う。面倒なのでこの探偵に名前を与えておく。即ち、私はこの人物をデウス Deus と呼ぶことにする。今、この世界はデウスによって造られたものである。従って、デウスはこの世界に住んでいる我々よりもこの世界に精通しており、それ故に、我々には分からないが、彼には分かっているという事柄がある。結論的に言うと、デウスは、犯人ですら誰が犯人であるかを知らないような殺人事件の犯人を知っているかも知れない。その殺人事件の犯人は、デウスの診断(審判)の言葉によって、己が犯人であることを知るのである。

 デウスは、市井に紛れる為に日本人としての名前を有しており、それは「出井」という。そして、ガイノイドの「真希奈」と二人暮らしをしている。作品のタイトルは、『クロス・真希奈』(くろす・まきな)でどうだろうか。一見、こう、つかみ所の無いぼかしたようなタイトルでですね、ああ、勿論漫画にすることを考えているので、小説だったらもうちょっと考えないとなりませんが、まあ漫画ですからこれでよいでしょう。ともあれこの漫画は、実は真希奈が主人公である。真希奈は、普段は人間の振りをして探偵業を営んでいるのだが、難しい案件だと解決できないので、最後は出井の力を借りることになる。出井は、人間のように振る舞う人間擬きを造ろうとしており、その一環として真希奈を創造した。出井は、真希奈に代わって事件を解決する度に、少しずつ真希奈を改良してゆく。そうして、真希奈は人間に近付いてゆく。たしかに、出井はこの世界の創造主であり、無論人間を既に創造した。真希奈を創造したのは、新種の人類を創造せんが為であり、真希奈が出井の力を借りることなく全ての事件を解決できるようになった時、出井は全ての既存の人間を破壊し、真希奈のような新人類をこの世界に棲まわせるつもりなのである。勿論、出井は全知でもあり、それ故に、新たな人類が如何なるものであるべきか、またその新たな人類の創造の仕方も知っている。真希奈を未熟な形態の下で創造したのは、既存の人間との知恵比べをさせたいからである。そして、出井はそうした個々の知恵比べの結果をも見通しているから、これは、単に、出井の愉悦の為に行われている。即ち出井は、既存の人間達がそうとは知らずに自分達の存亡を懸けて真希奈に難題を出す姿を楽しみにしているのである。

 出井は、自分が既に有しているような全知を、真希奈に授けることはしない。なぜなら、全知は来たるべき新たな人類ですら、有するべきものではないからである。それが、出井による全知の理解である。結局の所、真希奈は、既存の人間の知的能力の限界を有限な程度だけ超越した能力を有することを目されている。真希奈の到達すべき知的能力は、既存の人間にも理解可能でありながら、決して既存の人間には所有することの出来ない程度のものである。

 真希奈が次第に賢くなっていくのが、漫画の見所である。真希奈の受け答えや立ち居振る舞いは、始めから人間並みである。伸長するのは、推論、或いは洞察をする能力である。

 漫画が連載されている限り、チャプターの終盤には出井が現れ、真希奈に代わって事件を解決する。この時、興味深いのは、出井がどのような説明をするかである。もし、誰が犯人であるかが既存の人間には決して見通すことが出来ないのだとしたら、出井の説明は、その場に居合わせる登場人物はもとより、どの読者にとっても理解不能なものだろう。このような事件は、真希奈の学習に益しないだろう。なぜなら、そのような事件は、理想的な(完成された)真希奈ですら、解決することが出来ないからである。このような事件が、漫画の中で取り扱われることは不自然かも知れない。なぜなら、そのチャプターは、登場人物(特に真希奈)ばかりか、読者にも変化を齎さないからである。

(10,21) おっと、もうこんな時間だ。