映画の方の『半落ち』を見た。見終わってから、ネット上の反応を調べてみた。ふーん。まあやっぱ、自分の中での評価が定まらないから、他の人がどう思っているかが気になってしまうのだな。で、今は評価が定まったかって言うと、必ずしもそうではない。そうではないし、ここに書いても良いことはないだろう。そもそも僕はエンターテインメントを主眼とした作品の評価を公にすることはあまり好きでは無いのです。本当だよ? でも、映画の幾つかの側面に関しては、ちょっとだけ言える。言わないけどね。

 だから、良かったとか悪かったとかではない仕方で、これに関して少し言ってみたい。別に言わなくたっていいけどさ、けどこれはブログを書くいい機会なんだ! みたいな。なお、公開されてもう十年間ぐらい経っているはずなので、ネタバレには考慮しない。というか、映画にネタバレって、本気か? と思っていましたが僕の認識が甘かったようです。――確かこんな文面だったと思う。今確認してきた。『地霊殿』のページでまだこのフレーズを見ることが出来ます。ヨカッタネ。

 そうね。あの裁判官のボーヤ、あんなタイミングで立ち上がったりしたら、首切られちゃうんじゃないの? とは思った。あれじゃあ周囲から注目を浴びることになると思う。具体的には、あの法廷に居る全員があのボーヤに注視する画面が出ると思った。出なかったけどね。裁判官だって、若いと血気盛んで思わず感情的になっちゃうんだにゃあってことなのかな。弁護士も、検察官も、彼の異常性に戸惑って然るべきだと思う。けどまあ、そこは思わずアツくなっちゃったんだにゃあっていうことで納得してくれってことなのかな。しょうがないなあ。そういうことにしてあげるにゃあ。どうせ映画ですしおすし。

 それから、最後の方、護送車からカーテンを開けて、道路のはす向かいに立っている少年の口の動きを読みますよね。すっごく目がいいね。あんなことが出来るもんなんだろうか。うんまあラストシーンだしね。でもそのあと、車はその人物の前を通り過ぎるよね。そんなら、はす向かいじゃなくて正面ぐらいにしてあげたら良かったのに。それって、便宜を図ってることが見え見えで良くないかな。まあそうかも。

 この事件の真相を突き止める人物が、新聞記者だっていうのは、新鮮みがあったように思いました。記者が「刑事」役か。いいじゃない。

 それから、これは割と本気でそう思っているけど、これを見て骨髄のドナーになろうと思う人は割と居ると思うし、実際居たらしいから、それは、良かったんじゃないでしょうか。それって映画の良さなのか? っていう気がしないでも無いけど、いいや、これは映画の良さだったよ。きっとね。映画だったからより多くの人の目について、より多くのドナーを獲得できたんじゃないでしょうか。それは良いことだ。

 ストーリーに関することに話を戻すけど、やっぱりあの裁判官のボーヤに妻が居るってのは納得いかんね。いやまあ、あんだけ初心くってもイイトコの御血筋だと家政婦の如き妻が得られるものなのだろうか。それが 2004 年の日本だったってことなんでしょうかねえ。わからんね。これは。いやー、あの夫婦の性生活が全く想像出来ん。いや、想像しようとしても密儀にしかならん。それが 2004 年の裁判官像ってことなのか。わからんね。

 どうも僕はあの裁判官のボーヤが気になっているらしい。とにかくあの裁判官は若すぎだと思う。高校生かと思った。ともあれ、あれだけ若くして裁判官になっているのだから、相当優秀なのであろう。しかし……、まあこの辺が、おれが何を気にしているのか、ということだと思うが、あんなのが裁判官席に座っているとしたら、困りますな。

 いやまあ、『半落ち』の法廷にはあの裁判官が居たというだけで、それはまあおぞましいことだけれど、それが『半落ち』の評価に繋がるわけでもない。作品の中で嫌なことが起こるというのは普通のことだ。まあそうなんだけれど、もしもあの場面で裁判官が立ち上がってしまったことを、検察官、弁護士、或いは裁判長が平然と認めていたとしたら、どうにも彼らはちょっと間抜けだ。それとも、あのボーヤの嘆きには、鬼気迫るものがあったのだろうか。そうかなあ。「こんなの、裁けるのはあなたでもないし私でもない」って、そりゃそうでんがな。難しい話であることはみんな知ってまんがな。今更何を言っているのか。そんな若い嘆きを聞かされたら、弁護人も検察官も、当惑するしかないでしょうよ。でも誰も、そんな若すぎる裁判官を立ち会わせることに関する不安を、表したりはしないんだなあ。カメラワークさえもね。いやまあ、裁判長は、その前にはこのボーヤを窘めるようなことを言っているんですけどね、そのあとはなんにも言っている様子が無い。いや、何か言ったと想定するのが自然だね。でも、この辺はちょっと分からないんだなあ。新聞記者なんかは、裁判官の激昂、とかって記事を書いてもおかしくないけどね。

 ところで、気に食わないことが作品の中で起こるからといって、そのことが作品の評価に繋がるわけではない、と本気で思うとしたら、どういう点が作品の評価に繋がるのだろうか。勿論、作品の中で気に入ることが起こることも、評価には繋がらなくなるだろう。ドナーを増やしたとか? まあそれはあると思うね。これは割と本気で。さて、他には、だ。うーん。カメラワークとかかなあ。おれが知りたいことを教えてくれないカメラワークを不親切だと詰りたくなるのは自然かも知れない。

 (8,54) ああ、やっぱり良かったとか悪かったとかと言っている気がする。まあ、そうね。グッド・ブログ・オポチュニティーということで。