水
★★2,43-
- 起きたよ。すっげえ眠いよ。でもやらないと後悔するのはおれなのでやる。
- まだ、十時間やる余地は残されている。-2,44
★★3,01-
- 昨日読んだ本は次の通り。
- 《内田百輭(著)、池内紀(編)『百輭随筆I 池内紀編』isbn:4061982826》126-51
- 明治はいいよう。-3,02
★★5,34-
- 辞書を探しても正体が分からない単語が多すぎるよう…。sallakSaNam*1ってのはsat-lakSanamでいいんだよね…。でもkhyApayitvaって何だ…。
- こういうことを書いても「内容がある」とは見做されないんだろな…。はぐわ。-5,37
★★6,19-
- 今週末はサンスクリット文法をまとめることに決定。そうしないと効率が悪すぎる。
- 今の内にちょっとメモ。語幹-ya-語尾ならpas.、語幹-aya-語尾ならcaus.。動詞類ごとの変化をまとめること。それから短辞類もまとめること。-6,21
★★7,39-
- あと三行弱…。
- あー焼き肉行きたいなあ。-7,39
★★8,59-
- 語義は調べ終わった。今度は文構造を考えながら訳を付ける。多分終わる。
- ところでdesiderative意欲活用ってさあ、おれ習わなかったんだけど、辻文法*2には載ってるのね。これ、なんなんだろう。習わなかったってことは重要度が低いのかしら。今度辻文法を読んでみようか。-9,07
★★9,33-
- ところで「もうだめぽ」って言う代わりに「MDP」って言う文化があるらしいわね。-9,34
★★11,13-
- むずいよむずいよ…。日本語にならないよ…。ああ…。-11,13
★★11,43-
- さあ、訳が終わりました。
- たまには僕がどういうことをやっているのかを書こうと思います。時間も案外あることだし。
- そういうわけで今回訳した文章をここに書いてみると…。
「このように虚妄分別の存在の様子と非存在の様子とをはっきりと述べて」とある。これ(=虚妄分別)が存在するものとして認識されるということは、有が存在する様子である(有が有である様子を示している)。虚妄分別が知られているということで疑いなく虚妄分別の存在を知らしめようというのである。また、虚妄分別が存在しないものとして認識されているということは、無が無である様子を示している。それ(=虚妄分別)はまた、理解されるもの(=所取)・理解するもの(=能取)として存在しないものなのである。虚妄分別には二つ(=所取・能取)が無いので、それゆえ虚妄分別もまた、二つの性質を持つものとしては存在しないのであると言われている(二つの性質を持つものとしては存在しないのであるという言辞が生じている)。
- というのが、今回作成した訳文です。
- はっきり言って何が何のことやらわけが分からないと思いますが、書いている本人も理解度は六割強くらいです。授業待ちです。頑張らないと分かりません。何となくイメージはありますが。
- この文章は、指導者(にあたる人、と言えば間違いがないのでしょうか)が書いた文に対する注釈であり、始めに「このように虚妄分別〜」とありますが、この引用部分が、もとの文というわけです。始めに書かれた分というのがあまりにも簡潔すぎるために後世の人が頑張って解釈した結果を、現代の私たちがさらに頑張って訳すわけです。
- なお、「虚妄分別」は「こもうふんべつ」と読みます。これは仏教用語なので、英訳にしてみると、まあ、not-existent-cognitionという感じになるんだと思いますが、実は私は辞書でこれを調べられていません。意味的にはそんな感じになろうかと。”本当には存在していないんだけどなんかみんなが在る在るって言ってるあの変な存在感(認識)”。みたいな。
- ちなみにこれでも頑張って仏教用語を少なくして訳しているんであって、渡された日本語訳にはもうちっとワケ分からん用語が飛び交っています。頑張らないと分かりません。
- でもな、あのな、おれは西洋近代の哲学がしたいのな。科学哲学だぜ? おおう…。でも、ユーロビート聞きながら仏典訳してるのって、なんかイイよね。
- つらいつらいって言いながらもけっこう楽しかったりするのよね。掛け値無しにつらいけど。-12,08
★★13,57-
- さて行きますか。四限なんぞブチ切ってしまいたいが…。-13,57
*1:KH記法。
*2:《辻直四郎『サンスクリット文法』isbn:4000202227》