惨状と惨劇の惨事


「とにかく……ひどいもんだったぜ、ジョン」*1


 まあ月曜日のことから話をすればいいだろう。この日、おれはこいこいさんと泳ぐはずだった。このことは先週の木曜日に決められた。最近運動していないことと、モチベーションを高めたままに保つための儀式――そうした要望から、決められたのだった。時間は七限相当。午後七時四十分に集まって、九時十分まで泳ぐ。そういう予定だった。
 おれたちはそれ以上のことを示し合わせないことにした。泳ぎに行くたびに確認し合っているようでは駄目だと思ったんだ。というのも、それは、その確認という行為のたびに、泳ぐかどうかが確かめられているから。そこには「泳がない」ことが選択される可能性が潜んでいる。おれたちは泳ぐんだ。基本的に、泳ぐことにしているんだ。だから、確認しない。
 おれは時間を少し間違えていた。待ち合わせは午後七時四十分だ。が、おれは七時十分だと思っていた。だから六時三十分に、家を出た。駅に着く直前に気が付き、まあ、これから通うことになるんだから一回目は早く行ってどれくらい時間が掛かるものなのか、見てみようじゃないか。そんな風に思った。交番に取り付けられた時計を見て、そう思った。
 プールのある街に着き、おれは早速向かっていった。簡単に腕時計を見て(ところでおれは腕時計を腕に嵌めていない。胸ポケットに入れてあるだけだ)、時間を覚え、歩く。すぐさまおれは気が付いた。あれは陶器市だ。最近自炊をしているおれは、味噌汁をよく飲むようになった。と言っても湯を入れればすぐに出来るようなインスタントのものだが。きっと、あの陶器市では茶碗も売っていることだろう。以前この日記にも書いたことだが、味噌汁のための茶碗が安っぽくて仕方がないと常々思っていた。まさしく、軽い茶碗なのだ。こんなのでは味も半減している。だから、おれは、時間もあることだし、寄り道をすることにした。
 その陶器市は、もう店仕舞いを始めていた。
「あ、もう終わりっすか」
 皿や飯盛り茶碗を片付けている男性に声を掛けた。
「ああ、レジに持っていけば買えますよ」
「ここは、何時までなんですか?」
「片づけが終われば、終わりです」
 じゃあ、少し急ぐことにするかな。時間もそんなにないことだから。
 結局、八四〇円の茶碗と、三四〇円のスープ用カップを買った。食器で千円以上を使うとは、と、おれは自分の生活の改変ぶりに感心しながら、プールに向かおうとした。時間は午後七時十分。もはや、四十分に着けばいいやと考えている。
 次に目にとまったのは文房具屋だった。こんな所にこんな店があるなんてな、と思ってみた。思ってみたら、もう店に入っていた。結構広い。広いじゃないか。
 新館の一階から入り、別館の一階に移って、店から出て、もう一回入り直して別館の二階で漫画用品を眺めて新館の二階に移動、そして新館の一階に下りてきて、店を出た。こういう身近なところにこれほど揃った文房具屋があるなんて、四年目にして初めて知った。こいこいさんは知っているんだろうか。ねみぎさんはここなんかで買い物をしたりしないのかな。まあ、しないか。
 文房具屋を出て午後七時十五分。まず間違いなく時間には間に合うだろう。
 それにしても暗い通りだった。坂を上っている間は飲食店や雀荘の灯りで明るかったが、それ以降は街灯しかない、上下に蛇行した道だ。思えばその明るいと言った通りも含めて、坂の多い地域だ。
 歩きながら、卒論のことを考えていた。思わず口に出して叫ぶ程に、頭がどうかしていた。が、通行人が少ないことを確かめた上でのことだからいいということにする。
 交差点を曲がって大通りに出る。もう少しだ。このまままっすぐ行けば、やがて工科大学が現れ、その向こう隣が、プールだ。大学の門は夜間用に切り替えられている。午後六時以降は小さな通用門から出入りすることになっているらしい。なんでわざわざそんな風にするのかよく分からなかったが、まあ好きにしてもいいと思う。
 嫌な予感がした。
 プールの施設は複合施設だ。プール以外にも、種々の運動場が兼備されている。
 ……暗い?
 暗いなあ。
 灯りが点いてないなあ。
 ああ……。
 確信しながら、入口の前に立つ。自動ドアは開かない。透明なドアの向こう側に、「本日休館」の張り紙が見える。

*1:語りゼリフを冒頭に入れることで形式の特異性を実践してみた。