「い、如何にして」。「妖術」。或いは荒山徹と時代伝奇小説についての思考の端緒

  • 単行本の『かんなぎ』とREXの「かんなぎ」を読んでテンションが上がったので少々考えることにするが、それにしても時代小説について考えなければならない。
  • 別に何も、時代「小説」が問題なのではなく、歴史として語られる分野の創作物について、考える必要があると感じている。否、必要などではない。それは私の心から発せられる汗、言うなれば開闢より伝えられる奥義と言う他ない。無論その辺は虚実が入り交じっていて構成の研究家を困らせる一因となっているわけなのだが。
  • それにしてもだから我々も朝鮮妖術使いと相対したとしよう。つまり、想定はこうだ。現代日本を舞台にした魔術ファンタジーものだが、朝鮮人が出てくる。ここで「朝鮮人」というのは別に韓国人でいいのだが、ともかく民族名として言っている。荒山が書いている時代には歴とした「李氏朝鮮」があり、国の名前として「朝鮮」だったからそれでいいのだが、現代ではその辺の呼称も難しい話だ。
  • まあともかく朝鮮魔術師が登場するとしよう。だが、何故「朝鮮」魔術師。伝統的西洋魔術師でもなく陰陽師でもなく、ましてやアレイスター・クロウリーのように実在していながら虚実交えて語られる魔術師でもなく、なにゆえ、朝鮮魔術師が登場すべきなのか。勿論理由はない。強いて言うなら僕たちが「孤立的/屈折的韓流」だからであり、朝鮮、或いは韓国に対する並々ならぬ愛情、というか傍目には激しきフ××クとしか見られぬ、報われ救われることのない熱い熱い激情に彩られた精神性を有しているからに他ならない。だってしょうがないでしょ! 出したいんだから! みたいな!
  • さて。おれが今回荒山徹の著作を読んで感じなければならなかったのは、やはり、時代小説ということもあってか、魔術的ギミックに派手さを欠くということであった。十兵衛と朝鮮妖術使いがボディチェンジするというネタは、それはそれでいいのだけれど(いいということにしておけ)、しかし、どうだろう。そこには時代小説特有の、なにかしらこう、抹香臭い雰囲気を感じないだろうか。感じない人はいいです。それはそれで楽しい精神生活を送れると思うし、それで実害を被ることもないでしょう。しかし私がここで問題にしたいのは、なにかこう、時代小説を読んでいるおじいちゃんはなんだか古びた感じがするし、実際古い時代を扱っているのだということなのだ。「だからそれがどうした」と言われれば、そのときはもう一度言おう。「それはそれで構わぬ」。だが、ヤングにしてポップなるモダン文化で育った我々はもうちょっと違うのだ。
  • 詳しく言ってみれば、僕がワクワクするような魔術的ギミックは、もうちょっと手が込んでいる。これが、現行の漫画を読みまくっている私の見解だ。言うなれば、「ボディチェンジは幼少時に鳥山明と共に通過している」のであって、どうしても「いまさら」感と「この時代だったらしょうがないかな」感が拭えない。だから、このように考える。古い魔術ギミックを使わなければならないのは時代小説だからだということに帰責して、だったら現代小説にしようではないか(ここで「現代小説」は、「時代小説」と対比して現代を舞台とする小説のことを言う)。だから、朝鮮魔術師を出すのだ。
  • クソッ! だが私には決定的に朝鮮文化の知識が足りない! 圧倒的に足りない! 人物の一人も生み出すことが出来ない! どうなっているんだ、日本に於ける朝鮮文化の、この浸透不足は! ――と、軽くおれが文化知識を持ち合わせていない理由を社会のせいにしてみたけれど、ともかくおれはこれまでそうした知識を養おうとはしてこなかったし、多分おれの周りの人物もあんまり持ち合わせていないと推察する。だがこんなことではいけない! こんなことでは何も出来ない! 何も、何もだ!
  • そんなんじゃ全然いけないとおれは直感したので*1、手始めに今度本を買ってきましょう。どんな本がいいだろうか。おれの机の上には今月号のREXがあり、霊夢咲夜さんレミリアが表紙なのだが、どうだろう、「東方」プロジェクトなのであれば朝鮮人の一人や二人、いて然るべきではないだろうか。紅美鈴は、明らかにはされていないが中国系だということにしよう。それにしてもなんと西洋系の登場人物の多いことか。もういい加減、僕らは「ファイヤーボール」とか言ってる場合ではないんではないだろうか。ちょっとお前、それは何年前から続く伝統だよ、と言ってみなければならない。果たしてその指摘に耐えられるだけの理由があるのかどうか。ちょっとお前らは西部のフロンティアに旅してこい。
  • さてそれにしても僕たちの魔術ギミックは貧困だ。剣と魔法? だからそれは何年前から続く伝統だと言っている。ちょっとスコットランドで修行してこい。そして荒山は柳生新陰流と朝鮮妖術だった。しかし、だから、私はここを指摘しないとならない。ちょっとその朝鮮妖術は地味だったんじゃないか――。
  • 私たちは、いいや、時代の先端に立つものは私一人でよい、私は、もっと新しく目の覚める伝奇を求めている。差し当たっては、昭和の政治家連中と朝鮮魔術師で考えていくことにしようではないか――、日本の中枢に渦巻く権勢・謀略と朝鮮魔術。「今宵の永田町に降る雨は、血の香りがいたしますな、総理」――。

*1:多分直観じゃない。