• 月下の棋士』の、15 巻・17 巻がリストアップされていないのは、遅れて発送されるから。だが、8 巻が入っていないのは、持っていると勘違いした為。買いましょう。
  • 百閒せんせいのはいつもの通り。読みたいんですけどね。中々時間が取れませんね。仕方がないですね。読みたいですね。ええ。
  • で、キラルだけど、いつものキラル先生で安心する。そう言えば思わず買いたくなるような音楽家(どんな意味でも)の作品って、実はキラルぐらいしかいないんじゃないのか? そんな気がしますね。キラルは、CD の包みを破くときにドキドキ感を感じる。こんな音楽家って、いたか?
    • でも、いざ実際に聞くと、キラルの曲って、その、あれだよな。なんて言うか、人間って凄い、って思うよね。こういう曲を書ける人がいて、しかもそれを聞いて「良い」と思える人がいるんだからね。まだまだ可能性あるわね。
  • Totus Tuus は、キラルが曲を入れているということで買ったもの。これが厄い。この CD を欲しがるようなマーケットが現代にまだあるのか? ま、あたしも買ってる人間の一人なんですけど。だって、ジャケット、これだぜ?

Totus Tuus

Totus Tuus

    • この人……、文脈からすると、教皇さんだよね。いや、勿論いいんですけど。
    • ピアノコンチェルトの方はかっこいいジャケットですけども。

Piano Concerto

Piano Concerto

  • それにしても『月下の棋士』はつくづく将棋漫画じゃねえよな。いや面白いんだけどさ、漫画の中の盤面を見る必要が無いじゃない。ただもう、能條のコマ割りとアングルのせいで迫力を感じるというだけではないですか。いや面白いんだけどさ。闘牌内容で興味を引くということをやめた麻雀漫画みたいに、『月下の棋士』は対局内容で興味を引くことをしませんよね。いや面白いんだけどさ、その、なんていうかな。将棋でやる必要がないと言いますか。
  • それにしても能條は絵が上手いよね。
  • そう言えば『哭きの竜』もそんな感じだったよね。麻雀漫画と言うよりは、どちらかというと暴力団間の勢力闘争が内容的だ、と言うかさ。おれは始め、あの、暴力団員は麻雀打ち(特に主人公の「竜」)から「運を得る」ことで勢力闘争に勝つことが出来るようになる、という運についての形而上学が受け入れられなかったんだけど、それさえ飲み込めれば政治劇として読めますよね。と言いますか或る人に聞いてみたら別に形而上学じゃなくて、麻雀打ちが組の為に賭け麻雀で勝つ、ということが「運を得る」ということなんだ、という読み方も出来るらしいんだけど、まあその、そうなのかも知れませんが、でも彼ら一言もそんなこと言わないですよね。寧ろ竜なんか、「ふ……、おれに他人にやれる運など無い……」とか言うし。運って、他人にあげたりあげなかったりすることが出来るものだっけ? いや、それでもそういう風に読んだっていいんだけど、その、やっぱり裏社会では通用している形而上学も通常とは異なるんだ、という方が面白いような気がするのは気のせいでしょうか。まあ気のせいですよね。
  • ベートーヴェンベートーヴェンね。
  • 所で最近、雨の音を録音した動画を再生しながら、もの読みをすることがある。

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  • 研究室で、これを流しながらイヤホンをして文献を読むなどして、席を立つ為に一旦イヤホンを外すときなど、非道く倒錯している感じがする。これが……、新世紀の文化……!
  • それからですねー、キラル先生の動画をですねー、貼ってみましょう。これは youtube ですが。


  • こういう作風なんですねー。いやこれでもまだメロディアスな方なんだけどさ。この曲が入っている cd はまだ手元には来ていませんが、まあ買ってある。みんなもキラルの cd 買おうぜ。cd にしては安いし。
    • あ、なんか、二番目の方の演奏の方がいいかもね。まあ演奏と言うよりは録音のせいかも知れんが。

キラール:祈り/出エジプト/クシェサニ

キラール:祈り/出エジプト/クシェサニ

  • あたしはこれの中の「出エジプト記」が好きでね、これがまた……。
  • という感じで、かつて無いほど図像多めでお送りしてみました。