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  • 最早ゲームに於いてはストーリーなど投げ捨てるものであると確信しているが、プレイヤーにゲームを先に進めさせる牽引力は矢張り持っているものと再確認する。
  • もう少しちゃんとに言うと*1、ゲームを評価するときにそのストーリーだけを用いて評価することは、誤ったことであると思っている。なぜならば、本当にそのゲームの価値がそのストーリーによってのみ決まるのであれば、全く同じストーリーを表現している別の作品も、同じ評価になるはずだからである。そして、そちらの「別の作品」は、ゲームである必要がない。即ち、そのゲームが有している価値を、別の、ゲームでないものでも実現することが出来る、ということになってしまう。ならば、ゲームの作者は始めからゲームでなんか作品を作らないで、もっと違う形式で作品を作った方が良かった、ということにもなりかねない。要するに、ゲームをストーリーのみから評価する人間は、そのゲーム作品を文芸作品か何かと勘違いしている。あなたはゲームをゲームとして扱っていない。ただの文芸作品だと思っているのだ。
  • ただ、ときには、ゲーム作品をそのストーリーのみから評価することも、適当なことになるかも知れない。例えば、そのゲーム作品が実は一般に流通されておらず、プレイすることの出来ないものとして多くの人の前に現れざるを得ない、というときなどは、そうかも知れない。その実例が上のゲーム作品である。多くの人はこのゲーム作品をプレイすることが出来ない。ニコニコ動画上に挙げられたゲームの動画は、プレイすることが出来ない。だから、このゲーム作品にアクセスする者は、常に、双方向性を持たぬ、非ゲーム作品としてアクセスすることになる。こういうときにこの作品を評価するとしたら、それは、多くストーリーによって行うことになるだろう。勿論、ストーリー以外にも、ゲームシステムなどからも評価をすることが出来るかも知れないが、視聴者は実際にそのシステムを起動(干渉)してみることが出来ないから、表面的な評価に終わるだろう。しかし、ストーリーにだけは、視聴者もプレイヤーと変わらぬ程度で、携わることが出来るだろう。だから、視聴者にとって、こういう場合にストーリーから評価をすることは適切なことかも知れない。
  • やっぱりシンもジャギもいい奴だったんだよ。

*1:と言いつつ、上の一文とは微妙に別の話。