• 実家のパソコンの HDD がいかれたらしい。或る日 windows が起動しなくなり、量販店に連絡、簡単に検査したら HDD が駄目になっているのであるらしいと。店の人曰く、HDD は壊れるものとご理解下さいとのこと。
  • 確かに、実家のパソコンは、ここ二年間ほど、挙動がおかしかった。とにかく挙動が滅茶苦茶遅かった。今思えば、あれが壊れる予兆であったのだろう。だから僕はここに記して気をつけるようにしよう。挙動が不自然に遅くなったら、それは HDD がいかれる前兆であるかも知れないと。
  • (4,23) これからマクド(ナルド。関西では多くの人が本当にマクドナルドのことを「マクド」と言う。これ本当)に行って何かを食って学校の図書館に行こうかと思う。殆ど二十四時間で図書館を使えるということはいいことだと思うの。いや自習室のことなんだけど。それにしてもマックはどうして朝マックなんかやっちゃうかな。四六時中厳しいハンバーガーを売って下さいよ。コジャれたベーグルやマッフィッンはどうも、ねえ。そう思うだろ?
  • (23,35) 走った。どういうことかと言うとこういうことなのだ。三十五分間ばかり、歩き多めでほんの少し小走りの散歩をしてきた。なんと……。何ということだろうね。このおれが自発的にトレーニングするなんてな。それというのも、最近本当にお腹の張り具合が医学的な意味で気になってきたからである。だから、僕は出歩くことにした。本当はずっと走っていたかったのだが、いきなりそういうことをして怪我をするのがこのおれだ。おれはなるべく同じ轍を踏まないことをモットーとしている。まあ、一回目なんでね、これくらいで勘弁してやれ。ぶっちゃけ六分走ると別の世界に逝きそうである。
  • それにしてもおれは小学・中学の頃の所謂スポーツというものによってスポーツが大嫌いになった。だから、現代人は静かに死ぬべきだと考えていた。文化と文明が花盛りを迎えたこの現代にあって、どうして運動などするべきだろう。そういう騒々しいことを避け、現代に生きる者はみな賢者として生き、そして静かに死ぬべきだろう。スポーツなど、それが同時に芸術を兼ねるのでない限りするべきではない。騒々しくスポーツをする者は昨日に向かってタックルし、ルビコンの畔でカエサルに縊り殺されろ。本気でそう思っていた。
  • とは言うものの、最近はスポーツも評価するようになってきた。これは、寧ろより賢くなった結果と言うべきであろう。決してスポーツに説得されたというのではない。スポーツは昔も今も語らない。ただ殴るのみである。お前のそれはボディー・ラングエッジではない。ノン・ヴァーバルパフォーマンスだ。よく理解しろ。
  • 今日の走りは、決してスポーツではない。エクササイズである。おれはスポーツをしない。ただエクササイズをするのみである。