• だが気が付いたらベッドの上で気を失っていた。
  • (14,00) twitter 上の紛争について。twitter 上の紛争って、twitter 上で何か大事なことを言おうとするから、起きるんだろうな。そして、まことに大半の人は、大事なことを言い切れないんだ。そうして、自分が言いたいことを言いたいように言えず、また始めから言いたいことなど持っていなかった人も混じって来て、要するに適当に放言したあと、皆飽きるのだ。そこでは、大事なことは何も完遂されやしないんだ。それでいて、関わった人たちは「あー語った語った」と思うんじゃないのかな。これはとても勿体ないことだ。そうやって一時の醜聞を作って、そこでの話題を霧散させちゃうんなら、そんな紛争などしなかったらよいのだ。ちゃんと語れる人だけがちゃんと語った方が、いいんじゃないのか。それって、一般人から議論する権利を奪って、知的エリートだけに議論を許すってこと? 折角 twitter っていう便利なものが有って、誰もが誰とでも平坦な関係を結べるようになったのに、時代に逆行してない? そうかも知れないね。でも、twitter のような技術は、間違いなく革新なのだから、この時代の進みというのは、止めようとして止められるものではないのだろうね。それこそ、私が情報技術者にならない限り。
  • 何にせよ、めんどくさいことになっているね。いやあ、でもどうせ、昔からめんどくさいことばっかりだったのだろう。その時代にはその時代の、ねえ。
  • それはそうなのだろうけど、ともかく、最近 twitter 上で為される言い合いを眼にすることが多く、それらの殆どは議論になっていない諍いで、本当に嫌な気持ちになるのだけれど、それでも私はついつい見に行っちゃうのだから野次馬根性があるのであって、それも少し嫌で、要するに twitter なんか無かった頃の方がネットは楽しかったのだが、多分 twitter は無くせないだろうから、困ったなと思った。でも、その困り具合なんかは、日頃の課題の大変さに比べればやっぱりエンターテインメントと見なせるくらいに小さなものなんだ。だから、こうした話をここに書けるのだ。ああ、語った語った、と思って、私はこれから出掛けよう。それこそがこの時代のネットの作法であろうか(が)?
  • (15,04) と言ってこの話を終わりにするのも無責任であるように風呂の中で思った。
  • とにかく上の問題は難しいと僕は思っている。それは確かなことだ。解決策が思い浮かばない。僕がこれから情報技術者になって新しい web サービスを作ることは可能かも知れないが、一体どういうサービスだったら僕が twitter の問題だと思っているものを回避できるかが思い付かない。そしてそれを考えるのは、情報技術者だけの仕事ではない。
  • そろそろこの紫本も、目的を変えるべきであろうか。ちょっと考えた所での案は、(i) オフィシャルなことだけを書く。(ii) 小説などの文芸的なものだけを書く。(iii) 入手したものや、読んだものの記録だけを書く。(iv) 一匿名となって web 上の人としてだけ知っている人と絡む。(v) ブログとして停止する。(vi) 英語でその日あったことを日記として書く。辛うじて丸を付けたいのは (ii) と (vi) だが、どうしたものか。このままだらだらと行くのも、本当は悪くはないのだと思えてきた。
  • ともあれ、遠く離れた見知らぬ人に対しても尊敬を失わないように。いや、尊敬できないと思うのはよいが、せめて尊敬を欠いた行為をしないように。