■
- 今読んでいる本の翻訳が、たまに本当に適当に訳されていて腹が立つなう。訳したことは褒めてやるけど、お前、英語あんまり分かってないだろ! お前、これ、「分かりやすくなるように本文の構文崩しました」じゃ言い逃れできないぞ! もっと努力しろ! 馬鹿!
- 今回は珍しくこういう発言にもフォローは無しである。
- 原文を読んでいて、あー、これよく分かんねーなー、翻訳さん助けてーって思いつつ、翻訳を見る、という読み方をしていますが、なんか、そういう、「翻訳を原文読解の頼りにする」というのがそもそも間違っているのだろうか。そうかも知れない。
- いや、その、「馬鹿」とか言うのは一般的によくないね。ああ。やめとこう。でも、おれは、元々、感情的で苛烈な人間だったのだ。
- などと、すぐさまフォローするようなことを言うようになり、書いたことを消すようになるのである。
- 許してくれよ。おれだってたまには怒るんだ。たまにはボルテージ上げさせてくれよ。上げたっていいじゃないかー。
- などと誰にともなく許しを請うてみたり。
- たまにはネット上で怒りを書いたっていいじゃないか。くそったれである。駄目だよ。こういうものを売り物にしちゃ。
- (10,50) でも、この本を素早く出版するということも、大事なことだったのかな。ことは出版の問題だから、多少品質が悪くても、しょうがない、ということなのかな。などと時間が経つにつれて物分かりのよい発言をするようになり。
- (11,04) 知らなかったことも訳注で書いていてくれるからやっぱり翻訳はあった方がいいね。などと称揚するようになるのである。まあ、根がチキンなんでね。