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 マッシュアップについて。

 二つの曲からなるマッシュアップについて考えている。ここでマッシュアップというのは、まあ単に複数の曲を同時に、調和ある仕方で鳴らすこと、並びにそのような曲、ということにしておく。

 二つの曲からなるマッシュアップだ、とされる曲を聞くのだが、そこで混ぜられている二つの曲を聞いたことがなかったとしよう。このとき、混ぜ合わせて作られた一つのマッシュアップ曲の中に、二つの曲を聴き取る、聴き分けるというのは難しいと思う。この課題は、あたかも「二つの骰子の和を言うから、そこから一つ一つの骰子の目を当てろ」と言われているようなものだ。二つの骰子に見分けが付き、しかもその二つの骰子を振る所を見せてくれるならば分かるだろうが、二つの骰子に見分けが付かなかったり、骰子を振る所を見せてくれなかったら、一つ一つの目を当てることは出来ないだろう。

 ではここで大胆に、「マッシュアップだとされる曲であっても、そこで混ぜられているらしい曲に心当たりがなかったら、混ぜ合わせられていると扱わなくても良い」と言って良いのだろうか。こういう風に言いたくなる気持ちは分かる。どうせ二つの曲に聞き分けられないのだから、そのマッシュアップ曲だと言われるものが本当にマッシュアップの産物であるかどうかはどうでもよい。マッシュアップ元とされている曲達は、そのマッシュアップ曲の作者が新しい曲を作るのに一役買った過ぎない。それは、作者にインスピレーションを与えた、とかという他の作品だって与えうるような影響を与えたに過ぎない。その作者に影響を与えた無数の他の作品に優る特権的地位を、「マッシュアップ元」に与える理由はない。

 しかしそう考えるのは適切では無さそうだ。マッシュアップ元は、他の無数の作品に比べて、特権的だ。というのも、「マッシュアップ元」として挙げられている作品達は、他の作品達よりも、より直接的な仕方で作者とマッシュアップ作品に影響を与えている。即ち、マッシュアップ作品はかなり単純な仕方でマッシュアップ元を組み合わせて作られている、ということだ。その他の作品がマッシュアップ作品や作者に影響を与えるとしても、それは、「曲調が似ている」とかという仕方で影響を与えるだろう。マッシュアップ元は、まさにマッシュアップ作品を構成しているという仕方で、影響を与えている。当該のマッシュアップ作品は、当該のマッシュアップ元が存在しなかったならば存在しなかっただろう。

 しかしながら、直観的には、私は、上のマッシュアップ曲の作者はそういう風に考えてはいないのではないかと思った。実の所、この作者にはマッシュアップ後の曲調(メロディー、或いは曲全体としての感じ)が始めから聞こえているのであって、それをうまい具合にマッシュアップによって結果するような二つの曲を探し当てる、ということを繰り返しているのではないか、と思った。これは奇妙なことかも知れない。まず、我々の脳裏に、一つの素晴らしい曲調が浮かんだとしよう。そのとき、常人であればそれを実際に鍵盤なりで弾いてみて、音符なりに書き出して記録する。しかしながら(私の夢想する)この作者は、マッシュアップすることでその曲調を実現するような二つの曲を探し始めるのだ。再び比喩で言えば、まず我々の脳裏に 「9」 という数字が思い浮かぶ。常人はそれをただ書き留める。他方、(私の)この作者は、「2 足す 5 では…… 7 だな。3 足す 5 では…… 8 か。なら 4 足す 5 なら……? おお、9 になった」という具合に、「足して 9 になる二つの数」を探すのだ。

 もしも、任意の曲調に対して、それをマッシュアップによって実現するような二つの曲を探し出すことが出来るのだとしたら、それはとんでもない能力であるように思われる。しかし不可能ではないだろう。少なくともそのような能力を想像することが出来る。まあ、脳裏に思い付かれうるような曲調よりも、実際にリリースされている曲は圧倒的に少ないと思うので、「曲調」なるものは相当に粗いものになるのであろうが。

 いや、この能力は思ったほど突飛なものではないのかも知れない。というのも、編曲をするときにはそのような能力を使うことになる気がするからだ。ここで編曲というのは、メロディーにその他の音を付け加えることを意味するとしておく。編曲をするときには、メロディーを聞いていて、「この部分にこの音を足そう」と思うことが必要であると思う。それは詰まり、メロディーを聞いているときに、上で言ってきた「曲調」なるものを思い付き、目下のメロディーをそこから「引き」、何が足りないのか、足すべきものは何であるかを明らかにすることである。ここでは、全体的曲調なるものをまず思い付き、そしてそれを実現する成分を分析する能力が使われている。

 それであれば、マッシュアップをするとは、既に完成されている曲を、もう一つの完成されている曲によって編曲することなのだろうか。そうなのかも知れない。