何を今更、とも思うが、もう十一年なんだなあ、などということを考え深く思う。いつの間にか土・日は連休になっていた。私が学部生の頃は土曜日も授業があったから、私に週休二日制が訪れるのは遅かった。本当に、何を今更である。

 いつの間にか、私も月給のようなものを貰うようになっていた。いつの間にかというか昨日のことなのだが。私は、過去は決まり切った姿をしているのではないと思っているから、過去がどうであったかというのは、過去を思い出す人の、その思い出し方に丸っきり依存していると思うから、記憶が薄れるのを惜しく思う。ああ、それにしても私の記憶は薄れているのか。そうなのかも知れない。それはとても惜しいことだから、認めたくないけれど、薄れているのに薄れていないと思い込むのは薄れていることを率直に認めることよりも悪い。本心で記憶が薄れていると思うのならば、それを認めるべきだと思う。

 私の過去が、私や、私のことを覚えている人たちの記憶によらず、固定していると思える人が羨ましい。羨ましい、と悪し様に言っておこう。私だって過去を固定したものと思いたい。でもそれは間違っていると思う。というか過去が固定しているとしても私が過去のことを知れないのだったらそんな固定した過去などに用はない。私が用があるのは、私にとっての過去だけなのだ。

 私は高校受験をしていた頃、サガフロンティアをやっていた。勿論それ以上のことも覚えているが、ここには書かない。私は、他の人が自身の過去のことを覚えている以上に、自身の過去のことを覚えていると思っている。その私が、自分の記憶が薄れていることを認めるというのだから、私はその誠実さをよしとしなければならない。その、私自身の誠実さをだ。