初めて剣道に関して少々調べてみたのだが、なんだ、いまだに本当に、全日本剣道連盟は「武道」とか言っているのな(「全日本剣道連盟|剣道について」)。へえ。ちょっと感心した。まさかこのご時世、競技スポーツ化しないでいることの含みを考えないでもないだろうに、よくも単なる文化のままであろうとするな。その判断は命取りになるかも知れないだろうに、よくもまあ。

 しかしそれにしても、ならばどうして試合などするのだろうな。それについてはどう説明するのだろう。なぜ武道であるのに試合などするのだろう。僕は、武道が「武士の精神」を身に付けるのを目的とするに際し、どうして試合をすることになるのか分からない。まさか、「これだけ練習したんだからちょっと腕試ししたいよね」では説明はつかないだろう。どうして「武士の精神」を身に付ける一環で試合をするのだろう。分からない。

 「武士の精神」というのもよく分からないな。社会の構造が江戸時代とは全く違うのだから、何から何まで武士の「生活」を真似ることは出来ない、というのは誰だって分かることだ。現代に於いても身に付けることの出来る「武士の精神」なるものとは一体何なのだろう。

 それから、「武士の精神」というものが本当にあるとしたら、それを一番よく知っているのは歴史家だと思う。だから僕は「武士の精神」なるものを本当に身に付けようと思ったら、剣道をやるのではなく、歴史家になった方がいいと思う。まさか、竹刀を扱う技術ばかりを練習して、「武士の精神」が身に付くわけがないだろう。

 もちろん、「武士の精神」なるものはただの知識ではないのだろうから、武士達の生活態度を知った上で、彼らのように振る舞うことが出来なければならないのだろう。だからただ歴史家になっただけでは、「武士の精神」を身に付けたことにはならないのだろう。多分、実際に剣(竹刀)を扱う技術を身に付ける必要があるのだろう。だから、「稽古」なるものは必要なのだろう。それは僕も認める。

 それにしても、「剣道範士・教士」と呼ばれる人たちは、一体武士の何を知っているのだろうか。全日本剣道連盟が(ほぼ)最高位と認める位にいる人たちなのだから、本当に、全日本剣道連盟が「武士の精神」と認めるものを身に付けているのだろう。彼らは一体何を知っているのだろうか。

 (5,18) よーく読むと、範士と教士の段位審査に際しては、審査員として「学識経験者」と呼ばれる者が参加することになっているな(「全日本剣道連盟|行事予定」)。これは何かと言うと、「剣道に通じ、学問上の識見と社会的経験の豊かな者をいう」そうである(「全日本剣道連盟|行事予定」、先程とは別ページ)。ふーん。

 (5,29) 本当に剣道を滅ぼしたいと思ったら、まずは公式団体を禁止にすべきだ。次いで剣道に纏わる出版を差し止め、そうしてインターネット上での言及を規制する。剣道具の製造・販売・所持を順に違法とし、剣道に関する会合(「稽古」と呼ばれるものを含む)を違法とする。

 しかし現在、剣道には国際団体が存在する。これを取り締まるのは容易ではない。