生活は主に食生活を意味する。

  • 最近の食生活は主に蕎麦とハンバーガーを意味する。
  • 学食には蕎麦が饂飩と対比して二分の一だけしか存在せず、この存在比率はきしめんのそれと同等である。蕎麦は、きしめんと存在資格を同等に割り合っている。要するに交互にしかメニューに登場しない(そして恐らく、し得ないのだろう。何故だ!)。私はマーガリンを塗ったパンを落としたならその面が下になったような、そのような気分を味わった。そのきしめんは、なんていうか白く、平べったく、つるつるとしていて、クフッ、これがきしめん毛の語源となりしきしめんか……と思わせるものだった。そして学食には海老天が無く、有るのは海老が入った掻き揚げであり、その海老は海老の殻である。あのな。ううん。いいの。僕が、僕が海老の殻では満足できないような、そうした嗜好を持ってしまったのがいけないの。悪いのは僕。海老天蕎麦が食べたくて学食に行った結果、きしめん入りの海老掻き揚げを食うことになった。おお。おおお、アテネよ、お恨みしますぞ。
  • 私の住んでいる周りにはマクドナルドが無く、有るのはモスバーガーである。とは言えチーズバーガーが 100 円で売られていないマクドナルドには用と興味が無く、さして大きな問題ではない。モスバーガーはもっとまともなハンバーガーを売ろうという心溢るる有徳の士たちがマクドナルドから離反して創り上げた団体と聞く。フム。これがそのモスバーガーのチーズバーガーであるか。値段は 250 円。そうか。これが、その、有徳の、志……。受け取りましたぞ。されど、モスバーガーの、あの真中にトマトを挟んで玉葱を溢れんばかりに盛ったその姿は素晴らしかろうが、その玉葱が溢れるのは、どうなんだ。いや、あれは、その溢れる豊饒感それすらもが、レベルの高さを表現しているのかも知れない。マクドナルドならば薄いハンバーグを溢れさせる。モスバーガーは質の高い玉葱ソースを溢れさせる。マクドナルドが市民の王たらんとすれば、モスバーガーは紳士淑女の仕立屋というところか。成程。