昨日から今日に掛けての

  • おれが大学を受験するために予備校に通っていた頃、現代文の担当の講師が、「白い靴下なんてものを履いている人は、試験に受かりませんからね。あ、勿論、私の言うことですから、悪意からの言葉です」というようなことを言った。大したもんだ。靴下の色が、従順を示す白であるような素直純朴な人間は、試験に受からないということだ。言うじゃないか。確かにそうだ。白の靴下なんてものを履いている奴が試験を通るわけがない。賛成だね。
  • この「マレフィス」タグの付いた記事は、悪意によって書かれています。僕はこの態度に賛成だね。
  • 知っている人は知っていると思うが、昨日は東京にいた。先ほど漸くにして彼女の twitter を見つけることが出来たが、矢張り東京はいいものなのだろうなあと思わずにはいられない。しかしまあ仕方がない。それでも私は私なりに、独力で培えることが出来る技能をせめても大切にしようと……。
  • まあそれはそれとして、なんだね。久し振りに、というか、己の無力さを痛感しつつじっとりと、そしてぺったりと書いた例のところが、なんかそれなりにスルーされていて、僕は「やっぱり引用ってのは格式有る書法なんだな」と思わずにはいられなかった。引用をすると、負けた気になるのは、過敏というもの。なのかな。
  • 音楽というものを、もう少しよく理解したいと思う。特に、特定の曲が、特定のものを想起させるということについて。そうすると手法は矢張り心理学なのかな。いや、それは、私が何を知りたいかに依存するのだろう。アリストテレスも言っている。問いを解くためには、まず問いを的確に立てなければ。
  • それにしても作品というものがこの世には非常に沢山あって、平生僕はそれらについて何事かを語ることはそんなに甲斐のあることなのだろうかと思っているのだが、たまに特定の幾つかの作品に触れると、自分が文化の仔であることを思い出す。でもすぐ忘れる。なぜ忘れるのだろうね。いやあ、これは本当に、僕にとっては不思議なのだ。だって、例えば昨日なんか、機会に恵まれて同人誌を何冊か読むという慶賀に浴すことが出来たけれど、あのな、お前らこういう本を数百円で売って、イカンと思わんのか? などと思う。どうして、このようなものを、書く気になれるのだろう。書いている途中に、吐き気がしてくるものなのではないのか? 丁度おれがあれを書いているときに感じるような、それ以上クオリティを上げられない己の無力さに絶望しながら、それでも書くというときの、あの吐き気をだ。どうして、こんな話を、元気よく書けるんだ? その筆の動きの一つ一つが、結局はこのどうしようもない作品に結実するのだぞ? 一体、何を信じているのだ。同人誌を書いている奴らは、漫画をろくに読んだことがないんじゃないのか? 非常に挑戦的な考え方だ。マレフィスだというのにフォローを忘れない辺りがいじらしいよな。
  • まあとにかく、昨日見せてもらった同人誌の大半は非道いものだった。でもいいのよ。同人誌は、読み手ばかりのものではないから。きっとその存在理由の半分ぐらいは書き手の書きたいという気持ちによって与えられているのだわ。そしてそれでいいのだわ。そしてなにより、まあこの世の中は非道いものであるからして。非道いところに非道いものがあるのは道理である。おお、同人誌と言うときには専らエロが求められているのであって、普通の漫画とは評価の基準が違うのだと。では、その上で同人誌のエロが大したものだと言いたいあなたは、同人誌ではないもののエロを沢山ご存じなのでしょうねえ。(で、それはいかほど? 答えられるものなのかしら。)
  • おれは一体何と戦ってるんだ。要するにさ、たまに考えが嫌な方向に向くことがあるのだよ。
  • はっ、おれは今気付いた。東方のエロ同人誌を買い集める人はこういう風に考えるかも知れない。「オレは何も同人誌に良質のエロを求めているのではない。たしかに、同人誌は漫画としての素晴らしさ、エロの凄さでは、商業誌に劣るかも知れない。しかしながら東方のエロを載せる商業誌は存在していないという点をよく理解すべきだ。オレが同人誌に求めているものは、ただのエロではなく、東方のエロなのだ。その故に、たとえ漫画として劣ろうとも、エロとして劣ろうとも、(東方の)同人誌を買い続けるのだ」。確かにこれは、検討に値する立場だろう。この立場は、「同人誌は商業誌に内容で劣る」とするおれが挙げた考えと両立する。
  • なら、東方専門のエロ雑誌を作ったらどうだろう。これは良い考えかも知れない。熟女、人妻、女子高生、ロリ、といったエロのジャンルに、「東方」というジャンルを加えて考えるのだ。たしかに、「東方」というジャンルは個人の一連の創作物に端を発するもので、所謂「版権」はその作者にある。ことになっている。だが、そのことがどれほど重要なのだろうか。仮に、現在の同人誌の書き手たちによって考えられている「東方」という世界観が、作者の死後にも、百年後にも持続したならば、その未来に於いて「東方」がエロの一つのジャンルを指す言葉になっていても不思議ではない。思い返しても見よ。「サディズム」は、かの人の創作した嗜好ではなかったのか? それとも、かの人は「サディズム」を人間の本性から発見したのだとでも主張したいのか? それでもよい。その場合には、「東方」の作者が「東方」を人間の想像力の範囲の中から発見してきただけのことになる。「東方」が創作物でなければよい。あの世界は、近年になって発見されたのだ。「作者」とは、「発見者」のことだったのだ。まあいいや。そういう話はおいといてさ、もう「東方」ってのはエロのジャンルとして扱っていいんじゃないのかってことと、東方のエロ雑誌を作っても誰も文句言わないんじゃないのか、ってことですよ。誰か文句言うのかな。出版社を作ってですね、東方のエロ雑誌を創刊してですね、しれっと表紙絵をあの人にお願いに行くのですね。仮にそんなものが発行されることになったら、相当売れるのじゃないですか。何しろもう新世紀が始まって十年経っちゃったからね、そんなカオスなことをやる暴勇を発揮する人が現れても、僕は楽しくなるだけで驚きはしませんよ。ええ。決してね。というか本当にぶちぎれた編集者は、本当にぶちぎれていたいのならそういうことをすべきなんじゃないのかな。
  • 悪意に身を委ねることは甘美であるな。
  • でもあれだよ。おれにはまだ自分に禁忌としている領域が多分あって、もっと非道い話も、したいのだ。多分ね。今は思い付かないけど。
  • 要するに、おれは、マレフィスを書くのにも、遠慮をしているのだ。でも、遠慮をせずに、配慮もせずに書いたら、それはただの愚痴じゃないか。それだきゃーやっちゃいけねえと思ってるんだおれは。なぜと言って、これはブログだからだ。