昨日は、久し振りになごぽんの人と再会した。
 ただ、衝撃的なことが一つ。それは太ったな、と言われたことである。その、何て言うのかな。七・八ヶ月会わずにいた人からすると、如実に太った、のであるらしい。そうか……。なるほど、そうなのかも知れない。
 というわけなので、流石に流石に、節制をしようと思う。確かに、羽目を外していたのかも知れない。なごぽんからきょうぽんに移り、食事事情が大きく好転したことは本当のことである。何と言っても、なごぽんは自炊を強いられる土地であった。きょうぽんのこの部屋の周りには、すき家松屋吉野家マクドナルド、なか卯と、二十四時間営業の食事処が揃っている。これは好転ではあるが、同時に節制がなければ太る一方である。なるほど。それはそうであろう。
 どういうことなのか。それはこうだとおれは考えている。要するに、とうぽんからなごぽんに移り、食事事情が激しく悪化し、食事を楽しみと思うようになった。その習性が、きょうぽんにも引き継がれているから、悪いのである。なごぽんでは食事処が極端に少ないから、食事処に行くことは楽しみの一つである。そして、このきょうぽんに於いても、そのように思っている。要するに、すき家マクドナルドに行くことは、楽しみの一つであるのだ。それがいけないというのである。
 節制をしようと思う。それにしても節制というのはよく分からない概念だ。節制するということは、一体何をするということなのだろうか。それは何か積極的な行動をするということなのだろうか、それとも、何かをしなくなるという消極的な行動なのだろうか。そして節制それ自体は、精神的な、思いのようなものなのだろうか、それとも行動のパターンなのだろうか。よく分からないな。よく分からないそんな「節制」というものを、おれは持つことが出来るのだろうか。
 ともあれ、次のようなことが今回の考えの眼目だと思う。即ち、食事を楽しみだと思う度合いを緩めるべきだ、というのだ。他の何かをより楽しみだと思うようにし、楽しむために食事をするということを減らすべきなのだ。
 そろそろ健康というものを尊ぶ態度が、本当のものになりつつあるのを感じる。id:holotaku は M 字に禿げてきたらしい。恐ろしいことだ。明日は我が身よ。