初めての豚汁の実験 The First Experiment of Pork Miso-Soup

  • それでは料理ブログを始める。残念だったな。
  • 本記事の目的を明かす。それは今回行った実験を記録し、時に及んで振り返り、よりよい結果を得ることである。
  • 今回は下の記事に触発を承け、豚汁を作ることにした。下の記事に於いては詳しい分量が載せられていないから、私は分量を記録することにした。今回は初めての実験であるから、必ずしも成功するとは限らない。それは覚悟されている。しかしながら分量、及びそれに基づく(味に関する)結果を併せて記録し吟味することによって将来的には素晴らしい結果が得られるであろう。長期的な視点に立つことによって初めて得られるものが在る。最近はそのように考えることが出来るようになっている。素晴らしいことだ。
  • まず、今回用いた、或いは処理した分量を記す。
  1. 豚肉 437 g
  2. 味醂風調味料 400 ml
  3. 角砂糖 2 つ
  4. 味噌 大匙 3 杯
  5. 煮干し 8 本
  6. 人参 1 本
  7. 大根 1/2 本
  8. 玉葱 1 個
    • これに関する説明は、今回の手順を記しながら述べることにする。


  • 始めに、私が用いているフードコンテナー food container を紹介する。これはサーモス Thermos 社製のもの。容量は 350 ml である。良くも悪くもこれにはそれだけしか入らない。これが、これからの私の料理の工程に対する制限となるので、注意しなければならない。


  • 上は、豚肉を詰める為に用意されたタッパーである。大きさは十分であると思われるが、上に掲げた記事では、一度に 1 kg を用意することになる。結論から言えば、私のタッパーでも 1 kg の豚肉を入れることは可能であろう。


  • 今回用意した豚肉は 437 g である。たしかに 1 kg を一度に用意するのは多くの労力を省くのみならず、楽しいことであろうが、実験をするのはこれが初めてであるから、それは避けておいた。


  • 上は、小さめの鍋に 400 ml の味醂を容れた所である。manthano は明白に書いていないが、ここには味醂の量に関する疑念がある*1。今回私が取っている製法に於ける問題の一つは、出来上がってみるまで味が分からないということである。味醂 400 ml を煮詰めて、最終的にはお湯を足して豚汁にすることにするが、これが多いのか否か不明である。とりあえず 200 ml では味噌を溶かすとかよく分からないので 400 にしておいた。


  • 上は、今回使用する為に購入した味噌を示している。私は嘗て、味噌を一度使ったきり何年も《隷属庫/Slavevault》の中に置き去りにしたことがあり、この度その記憶をまざまざと思い出させられたが、尿路結石という辛い経験を乗り越えることになっている私はそのような辛い思い出にも負けずに立ち向かっていく。風は常に正面から吹く。これを微風と思うのがこれからの私なのだ。そうとも。私には可能なのだ。


  • 上は、今回使用する為に購入した砂糖の袋を示している。私は常日頃砂糖を憎んできた。しかしそれにしても本当に今回 2 個使っただけなんだが一体いつ使い切るのだろうか。砂糖を使うようなものを、これから作るのであろうか。そもそも砂糖を使う料理とは何か。心当たりする一つのものは麻婆茄子である。麻婆茄子は砂糖を使うとうまい。そう。嘗て私も麻婆茄子を作る時に砂糖を使い、それ以降、砂糖を使っていないと思われる麻婆茄子を味わう度に麻婆茄子に於ける砂糖の必要性に思い至ってきた。従って私が麻婆茄子を作るならば、常に私は砂糖を使うだろう。しかしそのことは私がこれから麻婆茄子を作ることを要求するのだろうか。そうかも知れないが、そうでないかも知れない。それから、ケーキを作るという案もある。このあいだはパンケーキを作った。これについても機会を見つけて記そうと思うが、これからパンケーキを作る技倆を向上させ、自分が納得できるようなケーキを作ろうと思う。自分が満足できるようなものを作ることが出来るというのは命の高 quality of life の向上にとっては効果的であると思う。確かに、パンケーキミックスを用いただけのパンケーキは甘さが足りておらず、周囲の人には蜂蜜を使うように指示された。しかしながら私は蜂蜜を使いたくない。なぜなら、蜂蜜はべたべたしている gunky からである。あのべたべたさ加減には困っているのであり、私は蜂蜜を使いたくない。しかしながら代わりにメープルシロップを使うというのも同様であり、従ってジャムやチョコクリームといった、パンに用いるスプレッドをここで用いることになるかも知れないが、そもそも私はパンケーキに何かを乗せるという発想が気にくわない。今はその理由をはっきり述べることが出来ないが、きっと感情以外のものに基づく理由があるのであろう。とは言え、目下それをはっきり言うことが出来ないのだから、ここでは単に拒絶するだけにしておこう。そこで砂糖をパンケーキの記事の段階で混ぜ込んでしまうという手法が効果的と思われる。このような手法を用いる際にどれほどの角砂糖が必要となるかは、今は知らないが、恐らくネット上にはこれに関する情報も載せられているのであろう。これに関しては紙面を改めて所感を述べたいと思う。


  • 上は、一度沸騰させた味醂に大匙 3 杯の味噌、及び煮干し 8 本を入れ、更に煮ている所を示している。ここでも再び、出来上がってみるまでその味が分からないという難点が現れる。果たして味醂 400 ml に味噌大匙 3 杯は多いのか少ないのか。今の私には分からない。また、味噌を入れてから煮立てていることに関しては疑念がある。即ち、味噌汁を作るに際しては、しばしば、次のようなアドバイスが言われる。即ち、味噌を入れたあとは沸騰させてはならない。なぜなら、沸騰することによって味噌の風味が飛んでしまうから、というのだ。それはそうなのかも知れない。それでは、今回に於いてもそのように考えるべきではないか。そうかも知れない。味噌を入れてから沸騰させてはいけないのかも知れない。しかしながら、沸騰させないならば、味噌が溶けるのが難しくなるのではないだろうか。何しろここでの溶液は味醂であって、水ではないはずだから、味噌なるものがそう簡単に溶け切るとは思えない。今回味噌を入れてから沸騰させたのは、そう考えたからだ。
    • ところで、私は日本には、スプーンの大きさには大きく分けて二つしかないと思っている。私が「大匙」と言う時は、その大きい方のスプーンのことを言っている。


  • 上は、鍋を煮詰めている所を示している。たしかにひとたび味噌と煮干しを入れて沸騰させたのだが、そこで得られた液は、始めに紹介した記事の言う「かなりドロドロしてる」という状態ではなかった。どのような基準を作用するかも問題となるであろうが、言わば私の作った液は「しゃばしゃば watery」 していた。そもそも味醂が多かったのかも知れない。しかしながら味噌を入れた時点よりもあとに味醂を減らすことは難しく思われたので、煮詰めることにした。


  • 上は、切られるべき大根を示している。この時点では、作成した液を豚肉を入れたタッパーに流し込むということをしていない。なぜなら、まだ鍋の液は冷めていないからである。始めに紹介した記事に於いても、「液体が冷めたら豚肉に入れる」と指示されている。私はこれに従うことにし、液が冷めるのを待つあいだに肉の他の具となる野菜を切ることにしたのである。なお、この大根を切る前に既に人参を刻んである。


  • 上が、その刻まれた人参が野菜用のタッパーに入れられている所である。これの他、玉葱を切って、また別のタッパーに入れた。なぜなら、人参と大根で一つ目のタッパーが一杯になってしまったからである。今回は、実は人参と大根と玉葱の他にも牛蒡を用意したのだが、これを切るのはやめておいた。なぜなら、これは大根を切ったことで分かったことだが、大根の量が多かったからである。切って得られた大根を全て消費するのにどれほどの回数が掛かるのであろうか。とても一週間で消費しきれるとは思えないのである。これに加えて牛蒡をも刻んでしまうとしたら、恐ろしいことになるであろうと思われる*2


  • そうして、結局、人参と大根、玉葱を刻み終わった頃、鍋が十分に冷めたことに気付いたので、豚肉を入れたタッパーにその液を流し込み、箸でそれなりに肉に液が行き渡るように湯掻いた所が、上である。
  • そうしてついにこの記事を書くことによって液が肉に馴染み、私の実験が幕を開ける。
  • 上で紹介した記事に於いては、一度鍋に於いて水を加えて豚肉を野菜と共に沸騰させるよう、指示されている。しかしながら、私の程度の低さがこれに従うことを拒絶させる。態々フードコンテナーが用意されているというのに火を使うというのは誤っていると思われる。ここで私が採る方法は、コンテナーに野菜と肉を入れ、ポットで涌かした湯を入れることしかしないというものだ。無論、この場合には調理が完了するまでに多くの時間が掛かるであろう。私は 5 時間待つつもりである。
  • 確かに、《隷属庫/Slavevault》に於いて冷やされたままの野菜を使うことは、ポットを用いて用意したお湯の温度を有意味に下げるかも知れない。だから、私は上に加えて次のような方法を採ることにする。即ち、コンテナーに野菜と熱湯だけを入れて、10 分待つ。そののちに湯を捨て、肉を入れ、再度お湯を入れる。そうして、5 時間待とうというのである。
  • それでも私は失敗するかも知れない。出来上がるものは生煮えの塩水であるかも知れない。ああ、だがそれでも私は悔いることはないであろう。なぜと言って、失敗のみが人間を教育するのであるから。

*1:「筆者は明白には書いていないが、文脈を踏まえるにこうに違いない」というレジュメ文体を背景とした高度な洒落。

*2:違和感を覚えさせる現在形の使用。