なぜ音楽や絵の練習を続けられないのか

 ピアノを弾くとか絵を描くとか、ということは、地道に何年も時間を掛けて練習をすれば、始めの頃は見るに堪えないものであったとしても次第に良くなっていくものであって、気が付いたらそれなりにいっぱしものが出来るようになるものであると、そういう風に思う。多分それは正しいのだろう。これまでにそういうような人を Web 上で見てきたように思う。いや、具体的な例を挙げられるわけではないが、Web にはそういった過渡的なものを発表する場があるのであり、たとえ始めの頃は質が悪く、良い評価を得られないとしても、長きに亘って発表し続ければ、出すものが次第に良くなってゆき、良い評価が得られるようになるものだ。きっとそれは正しいだろう。

 おれがピアノを弾くとか絵を描くとかということにそれほど長くの時間を掛けられないのは、果たしてその”音楽というものに対する信頼”とか、”視覚的美というものに対する信頼”とかというものが持てないからなのだろう。たしかにこれまで人類は、昔々から曲を作り、絵を描いてきたと思う。しかし、それであってもそれがおれの生きているあいだに衰退してしまわないか、と思うと、不安になる。他の人間がどうであれ、このおれが、音楽や絵というものに対して素晴らしいと思わなくなってしまうかも知れない、と思う。多分、それがピアノを弾くとか絵を描くとかということの練習に熱心になれない理由なのだと思う。