漫画などについて:pixiv と海藍

 またしても私たちは集まることが出来なかった。私の印象はそれだった。悲しい、と言えば悲しいが、そういう事態というのは、私たちにつきものだったのかも知れないから、これからもついて回るのかも知れない。

 またしても私たちは集まることが出来なかった。もしかしたらこれが歳を重ねるということなのかも知れないが、実に良く感慨深く、また味わい深い。これが歳を重ねる味であるとするなら悪くないのかも知れないが、当面、私にとっては残念でならない。

 私は本稿で二つの事案に触れたい。一つは pixiv の騒動で、もう一つは海藍の連載終了についてだ。これらのことをこの順番で語ろうとは思っていない。この二つに思いを馳せながら、書きたいことを書くだろうと思う。このどちらの事案も、まだ本当に determinate というわけではないと思っているから、確かなものに立脚することは難しいが、知らずに確言してしまうかも知れない。私も愚かだから。

 pixiv は良い私たちの集会場だった。「だった」? 少なくともこのたびの騒動までは良い集会場だった。素晴らしいと私に思えるような絵を描く人たちが集まっていた。私が目にした当初は mixi の絵描き版に過ぎないと思っていた。名前も mixi に似ているし。しかしそんなことは私にはどうでも良かった。ともあれ言及される回数が増えていき、訪問させられる回数も増えた。しかし私はその絵を見ることが出来ないのだった。それは私がアカウントを持っていないからだった。だから私はアカウントを取得した。その当初は、また余計な、一時的なアカウントが一つ増えた、管理すべきものが増えて面倒だと思った。pixiv なんか無い方がいいと思った。無思慮だから。いや、未来を見通す力が無いから。いつしかいい絵を描くと思った人は大抵 pixiv にアカウントを有していて、要するに、次第に個人サイトに訪問する機会が減って pixiv のページから pixiv のページへ行き来するようになった。要するに、人々がそこにいたのだ。

 私たちはそこに集まっていた。「私たち」というのは、私が勝手に書き手の人たちに仲間意識を持ってそう言っているだけのことだ。私は pixiv に絵を投稿したことはないし、コメントをしたことも採点をしたこともない。要するに書き手と書き手のファン達がやる気と応援を循環させているその上澄みを掬って舐めていただけだった。けれど私は「私たち」だと思っていた。まあそれはこの度に至って意識したのであるが。ともあれ、それは一つには、「ふたば」で絵を描いていた人が幾人か居たからだ。「ふたば」は、疑うことが出来ないほどに私の視覚に関する経験の或る程度を占めていた。ふたばで見掛けた絵を、偶然 pixiv 上で見掛けることが増えた。要するに pixiv にアカウントを有し、絵を投稿している人の絵が、ふたばに貼られていた、というわけだ。その書き手がふたばに投稿した、とは全く限らないが、ともあれ私は pixiv に行けばいつでもその絵が見られることを嬉しく思った。私にとってはふたばに貼られる一枚一枚の絵よりも、私の好きな絵を何枚も描いてくれる書き手の方が尊重に値した。だから私は pixiv でその書き手のアカウントをお気に入りに入れて、ちょくちょくと新着を確認するのだった。コメントをしたことも採点をしたことも無かったけれど。その内私はふたばには行かなくなっていた。

 海藍は(特定の漫画家に敬称無しに言及することを許されたい)、あのときの私にとってパーフェクトだった。あのときというのは、私が雨の降った予備校の帰り道を傘を差しながら歩いているときだった。確かあれは街のごくごく小さな、雑誌売りで成り立っているような本屋だった。それは、創刊されたばかりの『まんがタイムきらら』の、間違いなく第三号であったはずだ。私はその表紙の図柄をありありと思い出せる。それはパーフェクトだった。下品な話ながら、それはエロ雑誌だと思った。一般の雑誌で連載されるはずがない程の出来であり、またその出来であればエロ漫画を書くべきだと思ったからでもある。意を決して手に取ったが、それは四コマ漫画雑誌だった。一瞬、理解できない程の肩透かしを食らったように思ったが、ともあれ私はその雑誌を買った。

 その漫画は面白かった。面白かったように思う。いや、正確にはその創刊三号に載せられていた限りではそんなに面白いとは思わなかったが、それは私が良く理解できなかったからだったと思う。ともあれ、私はその漫画を好きになった。その雑誌が創刊されたばかりを知った。その雑誌を買って間もなく、地元の都市の駅ビルの本屋に赴いたときにこの雑誌の創刊二号を見掛けたときは何という偶然だろうと思った。今思うに、あれは返品を偶然免れた商品だったのだろうと思う。だからともあれ私は『まんがタイムきらら』を創刊二号から所有している。但し一番始めに買ったのは三号で、二号は二番目だ。私はそれが密かな自慢だった。

 私も、熱狂的な漫画ファンの一員であると、そう自認しているから(現在は留保が必要か)、私は創刊されたばかりの雑誌を買い支えていることに誇りを持った。私は『まんがタイムきらら』を買い、『まんがタイムきららキャラット』を買い、『まんがタイムきらら MAX』 を買い、一時期からそれらを二冊づつ買った。海藍の初の単行本が刊行されたときには、これもまた二冊買った。彼女(私は、私たちはこの漫画家の性別を知らない。ここではこの紫本の慣例に従って人称代名詞「彼女」を用いる)の単行本を買った店も覚えている。それは神保町の外れにある新刊本屋だった。私はそのブックカバーの装丁も思い出せる。その本屋では滅多に買い物をしなかったから、私にとってあのブックカバーは珍しい。

 pixiv がいつ頃始まったのか、私は知らないし、私がアカウントを取得したのがいつだったのかも分からない(本当は調べが付くのだが)。だから私と『まんがタイムきらら』の年表の上に pixiv をプロットすることは出来ない。ともあれ、私は大学を卒業し、別の試験を受け、住処を引っ越し、新しい生活を始め、『まんがタイムきらら』を買い続け、多分同時に pixiv を見続けていた。しかしその頃から私は忙しくなって、漫画雑誌を中々読めなくなった。そう、いつからか、『REX』 も買うようになったから、或る時漫画雑誌が私の住居を毎月少しづつだが確実に埋め尽くして来ていることに気がついた。漫画雑誌を収める為に本棚を買い増し、都合全く同じデザインの本棚を七つ部屋に建てたりなどもした。そうして、私に言い訳をさせて欲しい、私はあまりに生活が忙しくなったが為に漫画雑誌が読めず、その割りには買っている漫画雑誌の種類が多いから、雑誌の買い逃しをするようになった。その頃には海藍は『まんがタイムきらら』ではもう連載をしていなかったように思う。しかしまたしても『電撃大王』に移籍したのがいつだったか、私は覚えていないから(再び、これは調べの付くことだが)、それを私と『まんがタイムきらら』の年表の上にプロットすることは出来ない。

 恐らく私が住居を変える前の時代に、『まんがタイムきらら』の系列の何かの漫画がアニメ化されたように思う。それが何だったか、私は自信を以て言うことが出来ない。しかしこれもまた調べの付くことだ。きっとそれは『ひだまりスケッチ』であったと思う。私は『トリコロ』をアニメ化しない理由を必死に考えた。しかしその理由にはすぐ思い至った。もしかしたら誰かの入れ知恵であったかも知れないが、ともあれ私はそれなりの理由を挙げることが出来るようになった。いや、きっと誰かの入れ知恵であっただろうと思う。これは全く勝手な考えであったが、『ひだまりスケッチ』が好評を得、『まんがタイムきらら』が知名度を獲得し、多くの認知者と読者を得たのを確信したあと、私は「安心して」それら漫画雑誌を買うのをやめることが出来た。私が買い支えなくともこれからもやっていけるだろうと思った。私は、心底ではもうまともに読んでもないのだからどうして買い続けているのか、分からなくなっていた。きっとそれは創刊二号から所有しているが故の、きっとただの執着だったのだろうと思う。

 時間は前後するが、『トリコロ』の CD が発売されたとき、私は矢張り買った。だからこのことは特筆すべきことでもないと思うが、しかし私が仲間内でカラオケに行ったとき、確か 「Between Green」 か、いやそれではなく CD の終わりの方に収録されている曲だったと思うが、ともあれその『トリコロ』の CD に収録されていた曲を曲の目録の中に見つけ、私はどうしていいか分からずにその分厚い曲目録で自分の頭を劇しく二・三度叩いた。そんなことが在るのだろうか。在るのだから仕方がない。しかしこんなことが在るなんて、と私は歓喜した。早速、その CD の終わりの方に収録されていた曲を歌って、「聴くと鬱になって死にたくなる曲だろ」と言ったと思う。きっと彼には何のことか分からなかっただろう。私はその曲調のことを意味しているのだと彼には理解して貰いたかった。ともあれそれは聴くだけで鬱になって死にたくなる曲だった。これは、2 ちゃんねるの「海藍スレ」から拝借した表現だった。オリジナルがどういう表現だったかはもう定かではないが。

 海藍の連載が開始された号の『電撃大王』は購入したが、それ以後その雑誌を購入したかは覚えていない。これもまた調べの付くことだ。きっと買っていないのだろう。海藍の移籍には、複雑な思いがあった。確かその時代には既に冨樫義博という例があって、才能さえあれば締め切りなど度外視され、作家としてやっていくことが一応可能ではある、という状況であったと思う。それで私に刷り込まれていた「締め切りは作家にとって神聖不可侵、破ったら作家生命を絶たれる」という信念は揺らいだ。しかし、まだまだそういう例は少なく、そういう掟は厳としてあるものだと思っていた。だからそれを超越して作家であり続ける彼女は、随分と買われているのだなと思った。それは私の作品と作家の見方を一応後押しするものであったが、しかし同時に私は本当にそうかと訝しんでいた。何しろ当時の私の周りにいた友人達は『トリコロ』に見向きもしなかったのだから。私にはあの作品は輝いて見えたが、彼らにはそうではなかった。概して作品などそういうものなのだ、と私はそれで感じ入った。だから、別の雑誌に移籍するという報せを聞いて、半ば実現するとは思っていなかった。だから、『電撃大王』の誌面に掠れたインクで『トリコロ』が載っているのを見たとき、これで『トリコロ』も普通の漫画になってしまったか、と思った。今はそう記憶している。移籍が実現するということは、途中からは信じるようになった。それだけ証言があるのだから、本当に移籍するのだろうと思った。掠れたインクというのは、要するに「一般的だ」ということだ。これは今だに表現が難しいが、『週刊少年ジャンプ』のように、数を売るから紙の質にもインクの質にも凝ることが出来ない、というメッセージであるかに私は思ったのだと思う。詰まり『電撃大王』もそういう雑誌であり、『まんがタイムきらら』はそういう雑誌ではないということだ。所謂(当時はもういわゆっていた)「萌え四コマ」雑誌から抜け出て、『トリコロ』はそれ以外のフィールドへ出た。それは、私には舞台俳優が街の雑踏を歩いているように感じられた。それからは、私は寧ろ作家の方を応援するようになったと思う。少なくともそれ以降、彼女のサイトの更新は全て記録したはずである。だが雑誌は買わなかった。だが単行本は買った。この辺りがいじらしい応援者であると我ながら思う。

 今回、pixiv の不祥事と海藍の連載終了は、ほぼ同時期だった。ともあれここ一ヶ月のあいだのことだった。pixiv のことの顛末は未だ determinate ではないと思う。しかし、Tinami とかと言う代替のサービスのアカウントがここ数日で何倍かになったのだそうだ。気の早いことだ、とは思うが、私が気が早いと思ったところで何だというのか。寧ろ私は、またしても私たちが集まっていられなかったことを悲しく思う。私たちはひとところに集まっていることが出来ないのか。そうなのかも知れない。私にとって、pixiv の「不祥事」と言われるべきであるような事柄の、真相は或る意味でどうでも良い。私にとっての最大の関心事は、人々が pixiv から離れるのか否かである。元より真相が得られるとは思っていない。それにきっと、多くのユーザー、そして pixiv から代替サービスへ移行しつつあるユーザー達にとって、真相は或る意味でどうでも良いのだと思う。要するにみんな、pixiv の運営に不満なのだ。ただそれだけなのだろう。そして、それだけで十分なのだ。私たちは移ろいやすい。私たちは元より移ろいやすかったのだ。私たちをひとところに、いっときだけでも留め置けただけでも pixiv は賞賛に値すると思う。それは素晴らしい居場所であった。それにしても私たちは分派を形成する。今回の騒動に関しても、他へ移るものも居れば、残るものも居る(私はこの場合書き手のことを言っている)。大抵の場合それは二つか三つの分派であろうが、私たちは常に意見を異にしてきた。私たちを留め置いた pixiv を、私は賞賛したい。

 2 ちゃんねるの「海藍スレ」は時偶覗いた。一時期は他人を「信者」や「アンチ」と呼び付けて騒ぎ立ててばかり居た。いや、それは今も同じなのだが、私は、分かりもしないことを承知で determinate なことを言うが、人数が減っていると思う。どうしてそんな風に思うのか。何となくだ。確たる根拠はない。きっと、私が人恋しいからそう思うのだろう。私たちは、またしても集まることが出来なかった。しかしまだ少しだけ人が残っている。そういう状況を思い描いているのだ。「海藍スレ」では今でも他人を「信者」と「アンチ」に分け、相争っているように見える(いや、実際「信者」という言葉が現れたかは知らない。これは調べの付くことであるが)。それでも私には、未だに海藍のことを忘れず、いや忘れられず、気を揉んでいる健気な応援者のように感じられる。私の仲間だ。いや、私も仲間だ。そう言いたい気持ちがある。しかし、今回彼女が連載を終えることで、私たちはどうなるのだろう。またしても、私たちは集会場を奪われるのだろうか。そうなのかも知れない。私たちはもう二度と会うことは出来ないのかも知れない。2 ちゃんねるのああいうスレッドというのは面白いもので、相当にマイナーで、知られていないような作家や作品に関する情報交換の場になっているものと見受けられる。だが、もしも作家が活動をやめ、その上で月日が経ったとしたら、熱烈なファンもやがて熱を失うのではないか。それは飽きたり、忘れたりする、ということなのかも知れない。しかしそれら以上に深刻なのは、十分な月日が経った上でかつてのファンが当該の作品を読み返し、人気華々しかった頃を思い出し、再びそれについて人と語ろうとしても、叶わないことである。それは、実際の少数の友人に昔の作品の話を振れば叶う、というものではない。ここが多分、私の混乱している点で、よく分からない点なのだが、きっと、私は他の人たちが語らっているのを見るのが好きなのだ。私は私の信条の故に、ネット上の掲示板に書き込むことをしないが、私が何をしないで居ても、人々にその作品について語っていて貰いたいのだ。

 私たちは、いや、私は、どこへ行ったらよいのだろう。私たちは、いや、私は私たちとどこへ行ったら会えるのだろう。私たちは集まることが出来ないのかも知れない。こうした別れはこれからも在るのかも知れない。きっと在るのだろう。それを人生につきものの不幸として受けて入れるべきなのだろうか。少し前から「終わったコンテンツ」を指す言葉として「オワコン」という語が散見されるようになった。中には、相手が好いている作品を意図的に「オワコン」と呼んで不愉快にさせる、口の悪い愚か者も居るが、彼女らも人生の節目節目で襲い来るどうしようもない別れを茶化して言っているのだとすれば、可愛げもある。誰しも、別れを直視したくないのだ。だが、同時に子供染みても居る。避けがたい不幸であれば、尚更直視しなければと思うのだが。